北海道では猟師たちの間でこんな言い伝えがあった。
「クマを仕留めた後には強い風が吹き荒れる」
これを羆嵐という。
吉村昭の小説に『羆嵐』という中編がある。大正時代に北海道留萌辺で実際に起きた事件を題材にしたドキュメンタリーだ。この事件をかいつまんで話す。
《ある年、北海道全体に物なりが悪く人も羆も飢えたまま冬を迎えなければならなかった。こんな時、「穴持たず」という羆が出てしまった。極めてまれなことなのだが体の大きい羆が自分にあった穴を見つけることができなくて降雪期を迎え、餌を求めて雪中を彷徨するのである。この時の穴持たずは身長2.7メートル、体重383キロという巨大な羆で7人の人間を殺し、その内の3人を喰ったのだった。この人食い羆と村人たちは戦うのだが成す術もなく翻弄され、最終的に羆を仕留めるために老練な猟師の登場を待たなければならなかった。》
というものである。何しろ脚本家の倉本聰さんがこの本を読んで、夜寝られなくなったというほど恐くて面白い本なので読んでいないかたには一読をお薦めしたい。
さて、この『羆嵐』実は防災の本でもある。突然、襲ってきた大自然の猛威にどう人が対処してゆくのかということが細かく書かれている。例えば、羆に住民が殺され羆を退治するために200人の武装集団が結成されるのだが、これらが未経験の羆に対する情報を持たない集団であったがために羆と遭遇してもなんら効果的な対応ができずに逃げ惑ってしまう。そして物語の後半にでてくる老猟師はたった一人で羆を仕留めてしまうのである。
このことは災害発生直後に無能な船頭が何十人いようとも無駄であるということを示している。経験に裏打ちされた冷静なマタギの存在こそ自然の驚異に対抗する唯一の防災対応ということなのだ。
羆禍のことが喧伝されるに連れて、尾ひれ背びれがついて百貫(383キロ)が二百貫になり、人々の恐怖心をあおって混乱を招いた。また初動の羆の情報が沢沿いに点在する家々に伝えられなかったために被害を拡大させてしまった。このエピソードなども災害時の情報伝達の重要性を示すものであろう。
というようなわけで『羆嵐』は東海・東南海地震の懸念されるこの地域の人にはお薦めの本なのだった。(笑)