鈴鹿散歩(1)

 所用で三重県鈴鹿市を訪なう。
 鈴鹿市の歴史を聞いていると、ワシャの故郷三河とは縁が深いなぁと思う。
 例えば吉良の仁吉。
 三河は吉良横須賀で侠客として名を売っていた仁吉は、伊勢の侠客、神戸(かんべ)の長吉と義兄弟の盃を交わしていた。この長吉が荒神山観音寺(鈴鹿市高塚町)での賭場開帳の権利を握っており、このあがりに目を着けた桑名の安濃屋徳次郎(安濃徳)がちょっかいを仕掛けたことから大きな騒動となった。
 神戸の長吉は伊勢では無勢で、伊勢の海を挟んだ対岸の仁吉に救援を求めることとなる。義理にあつい仁吉は兄弟分の要請を受けて、清水の次郎長一家とともに湾を渡り、安濃徳一家と荒神山において血で血を洗う死闘を繰り広げた。辛うじて勝ちを拾ったものの、仁吉は28歳の若さで敵の銃弾によって命を落としてしまう。
 これが浪曲で有名な「血煙荒神山」である。

 それから東海道
 鈴鹿市街地の北を東海道が通っている。宿場で言えば石薬師と庄野の二宿がある。広重の東海道五十三次では「雨の庄野」ですぞ。一天にわかにかき曇り、強風をともなって激しい雨が街道をゆく人々を襲う。絵では手前に街道があり6人の人物がにわか雨にうたれる様子が描かれている。またこの絵の醍醐味は背景にある。街道の向こうに農家の家並と強風に揺れる竹やぶが暗く描かれている。その竹やぶが三段のトーンで描かれ絵に奥行きを与えているのだ。「雪の蒲原」「箱根」とともにこのシリーズ中、屈指の名作である。
 碧海郡にも「池鯉鮒(ちりふ)」という宿場町が通っている。ということは、碧海郡鈴鹿は一本道でつながっているということなんですね。
(「鈴鹿散歩(2)」に続く)