加藤唐九郎

 かなり昔の話になるのだが焼き物好きの友人に誘われて愛知県陶磁資料館に行ったときのことである。常設展示に加藤唐九郎の志野茶碗があった。いい茶碗だったねぇ。抹茶茶碗なんて代物に興味もなにもなかったんだがその志野茶碗の前からしばらく離れられなくなって、20分ほど眺めていた。
 唐九郎は名器「鬼ガ島」が出たとき、その他の茶碗がどうにも辛抱できなくてひと窯全部割ってしまったというエピソードを持っている。唐九郎ならひと窯で何百も焼くからたいへんな数の唐九郎茶碗が闇に葬られた。その「鬼ガ島」ですら唐九郎は「今見れば大したことはない」と昭和57年の対談の中で言いきっている。
 唐九郎は81歳の時に超名器「紫匂」を生んでいるから、これとの比較でそう言ったのだろうが、それでは割られた茶碗どもが浮かばれまい。名人の目にはかなわなかったが割られた茶碗の中にも趣深い名品が幾つかあったろうにと、惜しまれてならない。
 今、手元に昭和58年の『現代陶芸茶碗図鑑』がある。藤原啓、三輪休雪加藤卓男など名工の作品がずらっと並んであるが、やはりその中でも唐九郎は群を抜いている。売値の0が一つ違っているのだ。この間、ネットで見ていたら、唐九郎にしては平凡な器が1,800万円で売りに出されていた。抹茶茶碗がですぞ。
 土泥棒と自らを称した焼き物オヤジが亡くなって今日で20年、極楽浄土というくらいだからあの世にも「土」はあるわけですよね。どうです、そちらの土は。