横浜港

 横浜港の風景について考えている。
 横浜の歴史は14ある政令指定都市の中でも若い。ダントツに若いのが札幌で、かの地が切り開かれたのは明治2年(1869)というから、安政6年(1859)に町割りが始められた横浜より10年ほど新しいことになる。それが大阪や名古屋を尻目に、今や日本第2の大都市となったのだから目覚しい発展ぶりといえるだろう。
 そんな横浜市だが、150年前はその片鱗すらなかった。横浜市図書館に開港前の横浜の「絵」があるのだが、右手に里山、中央に田圃があって、遠景に小さな家並みが数軒描かれているというまことに長閑な風景だ。
 別の資料には「御開港横浜之全図」というものがあってこれは子安、生麦方面から関内を俯瞰した図で、開けつつある横浜の町とその手前の湾に大型帆船や和船を140艘ばかり描いた迫力のある絵図である。
 あまりに辺鄙なのでアメリカの総領事ハリスは横浜開港に大反対をしたのだが、わずか数年で港湾都市としての体裁を整えたことになる。
 長州藩士の高杉晋作は、そんな発展目覚しい町から上海に向かうべく港の沖に停泊する幕府御用船の千歳丸に乗船した。彼の日記を読んでいるが横浜出航についての記載はない。出航前日(文久2年1月3日)に見送りに来ていた長州の連中と南品川の鮫津で酒を飲んだことくらいしか見当たらないのだ。
 好奇心旺盛な晋作のことだからすでに何度も横浜を訪れており、特筆すべきことはなかったということなのだろう。

 そうそう、冒頭の一文を書くのに、政令指定都市をいくつか調べていたら興味深いことにぶつかった。横浜市名古屋市、神戸市、福岡市などはぞれぞれ最新の人口(住民基本台帳)が11月若しくは12月に更新されていたのだが、大阪市だけは9月に更新されたままになっていた。おおお、大阪市の杜撰な体質を垣間見てしまった。