高杉晋作のことをまだ考えている。
 高杉晋作年譜を繰っていたら「品川御殿山イギリス公館焼き討ち」というのが今日行われたと書いてあった。ありゃま、数え24歳の晋作が子分の伊藤俊輔(後の総理大臣)や井上聞多(後の元老、蔵相)らを引き連れて御殿山にまもなく新築する公館で焼き玉を破裂させ、燃やしてしまったのである。この事件、維新史の中ではさして影響はなかった。フラストレーションのたまったガキどもが酒の勢いで放火をしたくらいのことで、せいぜい公館を造っていた大工たちが嘆いた程度だった。この事件を見る限り高杉晋作もガキだなと思えてしまう。それに顎で使われている伊藤や井上など暴走族のパシリ程度でしかない。
 それが後々、日本という国家を牛耳っていくというのだから風雲に乗るというのは恐ろしいことだ。高杉が病に倒れて維新の夜明けを見られないのも運だし、二流の人物が国家の頂点にまでたどりついてしまうという現実もまた運なのである。
 ワシャだって年末ジャンボが当たれば風雲を呼ぶのだが、なかなかそうはうまくいかない。