倉本ドラマ

 倉本聰「祇園囃子」を観る。ちょっと泣いた。しかし先生のシナリオも昔と比べて甘くなっているなぁ。それでも各局が日々垂れ流している学芸会のようなドラマに比べれば数段優っているが・・・
 物語は京都で展開される。25年前に消息を絶った父(渡哲也)と健気に生きる娘(藤原紀香)の再会をするという祇園祭を含む数日間のドラマなのだが、そのシチュエーションを作るために前半でかなり無理な設定をしなければいけなかったんでしょうね。
 父はアメリ国防省ペンタゴン)の重職にあって、たまたまミサイル防衛構想のために来日し京都入りした。狂言まわしは父の京大の後輩で、現在は日本国内の企業でミサイル開発を進めている技術者の入江(舘ひろし)である。この入江が奔走し父と娘は池の畔で再会を果たす。娘とわかっている初老の男と,まったく父を知らない娘とのやりとりは切ないシーンに仕上がっている。
 前半のこじつけに目をつぶればいいドラマだったが、如何せん、渡が大根だからもうひとつ盛り上がらないのである。演技のできる俳優(例えば渡瀬恒彦夏八木勲寺尾聰寺田農あたり)を起用していればもう少しまとまったものを・・・惜しいことをした。
 ラストの結婚式にしてもそうだ。ドラマの展開からして藤原には白無垢を着せたいところだが、ホテルの8階の窓から渡に花嫁衣裳を見せなければいけないので屋外での結婚式にならざるをえず、そうなるとウエディングドレスじゃないと不自然になってしまうのだろう。それにしても藤原に肩を出させちゃいけませんぜ。それまでは和服であったりどちらかといえばじみ目な洋服だったので、京都のお嬢さんという風情をなんとか醸し出していたのに、ドレスで生肩にしたら「藤原紀香」がそのまま出てしまって、グラマラスな大柄な女が画面の中心に居座ってしまった。これは演出のミスだろう。できれば肩のあるドレスを着させるか、あるいは配役自体をもう少し清楚な小柄な女に変更しなければいけないやね。
 欠点はそのくらいで、全体を通してみれば及第点だった。
 全編、クラッシクが静かに流れて、それが京都の風景と上手く溶け合っている。朝日新聞テレビ欄の「試写室」で西秀治と言う記者が「石原軍団が得意とする派手な活劇も、爆発シーンもない。クラッシク音楽を聴き終えたような余韻がある」って、とぼけたことを書いていたが、あんた、実際にドラマのBGMとして2時間もクラッシクを聴いていたんだよ、その間、きみの耳はどこに行ってたんだろうね。