帆足氏

 帆足という苗字はかなり珍しいと思ったのだが、どうやらそうでもないらしい。日本の苗字の中では第3392位にノミネートされている。角川、川谷、麻田、牧村などより上位に入っている。これらの名前よりメジャーということだ。
 帆足さん、実は大分県に多い。大分県ではベスト250に入ってくる苗字である。著名なところでは江戸の後期の帆足万里がいる。豊後日出(ひじ)藩の家臣で儒学者でもあった。また幕末には帆足杏雨という南画家が出た。絵を田能村竹田、儒学詩学を万里から学んでいる。
 この一族の歴史は古い。「豊後清原系図」を紐解けば、初出は寛平というから9世紀末、菅原道真の活躍した頃のことになる。清原正高という小納言が罪を得て、豊後に配流になり、その子孫が平安末期から鎌倉時代にかけて帆足・松木・長野・野上・小田など十二家に分かれ豊後の地で勢力を増やしていった。帆足万里も杏雨もその末裔である。
 そして帆足一族は、昨日、平成の世に3人目の有名人を輩出することになる。カネボウ元社長の帆足隆である。真面目に生きていれば「郷土の歴史」に万里らとともに掲載されたものを、まさに晩節を汚してしまった。帆足社長、ワシャらのようなどこの馬の骨ともわからぬ輩とは違って出自はいいのだ。どうしてもっと毅然と生きられなかったのだろう。どうしてこうも人間という生き物は「金」に弱いのかね〜。
 リーダーよ、もっと名を重んじよ。帆足の足下には3000人の従業員がいたんだぞ。彼らが仰ぎ見ていた盟主がこんなバカではいかにも情けなかろう。
 武士(もののふ)の末裔なら責任をとって腹を切れ。(最近、こればっかり言っているなぁ・・・)