謙虚になろうよ その1

 司馬遼太郎の小説に、開港間もないころの横浜の描写がある。そこには来日して日の浅いヨーロッパ人を驚かせる日本人が2種類いたそうだ。1種類は、礼儀正しき日本人で、知識階級に属している侍や大商人である。もう1種類は、港の建設ラッシュを見こんで集まってきた雲助のような手合いで、両者はまったく別の人種と思われるくらいに挙措、態度が違っていた。
 一方は居住まいを正し、柔らかい物腰で話をするのに対して、もう一方は尻を露わにしてたむろし、手鼻を噛みながら小博打をするような下卑た輩で、これは人種が違うと思われても仕方がない。
 この時代のこの両者には厳然たる身分制度があって、下卑た連中が腹の中でどう思っていようが、とにかく侍がやってくれば道を避けざるをえなかったことは確かだ(もちろん例外はあったが)。
 さて、現在の話である。
 屋久島の縄文杉がかなり痛んできている。なぜか。それは猫も杓子もこぞって縄文杉を見物にいって、根回りを踏み固め、そのため樹に勢いが無くなってきたためだという。最近は幾分改善されたようだが、それにしても人が行きすぎだ。
 遙かな尾瀬にも問題がある。近年、マイカーで猫も杓子もこぞって尾瀬に出掛けては、ゴミを現地に捨て、高山植物を根こそぎ持って帰ってきたりしたため、ついに規制されお陰で尾瀬はますます遥かな尾瀬になってしまった。
 かなり前のことだが、廃墟となったオウム真理教の宗教施設(サティアン)を見るために野次馬、野次鹿が大挙山梨県上九一色村に出現するということがあった。施設といってもただのプレハブの小屋に過ぎないのだが、それを一般のおっさんやおばはんが見てどうなるものでもないのだが、野次な人たちはなにがなんでも見ておきたいんだろうね・・・
 野次馬たちはオウムの小屋でも縄文杉でも尾瀬でも、自分が満足できればそれでいいということらしい。見たいという低俗な欲求が満たされればそれでいいのである。
(「謙虚になろうよ その2」に続く)