明と暗

 文藝春秋7月号の「蓋棺録」に安部英が載っている。
 この人、言わずと知れた日本の血友病の権威で、血液製剤の導入に際して強い影響力を出してエイズ禍を引き起こしてしまった大バカ野郎である。
 不遇な時代は頼ってくる患者にはやさしく、万年講師にありがちな焦りも見せたことはなかったのだが、帝京大学医学部に招かれ地位をえると豹変する。やはり安部、凡人でしかなかった。権威と名声を得ると仏の顔つきが変わる。テレビでよく見たでしょ。甲高い声で怒鳴る目つきの悪い白髪の爺を・・・
「初節を保つは易く、晩節を保つは難し」
 まさにこれを地でいってしまった観がある。一審では無罪とされ検察側は控訴したが、残念ながら二審の公判中に「痴呆」と認定され公判停止となってしまった。安部、ボケに逃げたか。
「蓋棺録」の2ページ目には「VAN」で一世を風靡した石津謙介氏が掲載されていた。こちらの人生は見事だった。学生時代「VAN」の洗礼を受けたワシャたちには神様のような存在だった。今、手元に昭和49年9月14版発行の「MEN’S CLUB 増刊・アイビー特集号 第1集」がある。裏表紙はもちろん「VAN」だ。紙面には「IVYは成長している」と題した石津氏の文章が載っており、当時は必死になって読んだ記憶がある。なにしろ石津氏が「二本線の入った綿の白い靴下(アイビーソックス)がお薦め」と言えばすぐにメンズショップに走り、「靴は黒いチャッカー・ブーツがいい」と言えば靴屋に直行したものだった。
 最近では(最近でもないけど)「美しいキモノ 1997冬号」に「石津謙介氏の着こなし」という記事があり和服姿のお元気な姿を拝見することができた。相変わらず格好いいなぁ。
 初節を保ち、晩節も保ちえた男のいい笑顔がそこにはあった。