第一人者は単細胞

 私は大相撲が大好きだ。それも40年のキャリアを持つ生粋の相撲ファンである。でもね今場所は1日も見ていない。そんなことは40年来なかった。なぜ見ないのか?答えは簡単で、大相撲が面白くないからである。では、なぜ面白くないのか?それはひとえにガキンチョ横綱の存在が目障りだからである。
 昨日、横綱のバカ青龍と琴欧州の対戦を深夜のニュースで見た。バカはその一番をいつものよう勝った。ただその勝利は、勝ったというだけの「勝ち」で、何の余韻も残さないスカスカの「勝ち」だった。このバカ、立会いに琴欧州の顔面を狙ってカウンターの肘打ちを炸裂させたのである。琴欧州はその顔面への攻撃に脳震盪でも起こしたのか、抵抗もできず土俵を割った。こんな卑劣な攻撃はついぞ土俵上で見たことがない。これは相撲ではなくてただの喧嘩だ。横綱にただ勝てばいいというようなこんな賤しい攻撃をされたのでは、下位の力士はたまったものではない。
 バカ青龍よ、おまえは腐っても横綱ではないか。横綱にはね、勝ち方というものがあるんだよ。どんな手を使っても勝てばいいというものではないのだ。ここが理解できないノータリンが角界を代表しているから相撲が詰まらないのだ。
 かつて大横綱がいた。大鵬千代の富士である。
 大鵬幸喜、優勝回数32回、幕内通算成績746勝144敗、勝率0.838。
 千代の富士貢、優勝回数31回、幕内通算成績807勝253敗、勝率0.761。
 この両横綱が立派だったのは、優勝が多かったとか、勝率がよかったとか、そんなことではないのである。彼らが一所懸命に相撲を取って、勝っても負けても清々しかったから名横綱になったのである。
 評論家やマスコミはバカ青龍を、何かにつけて大鵬千代の富士と比較をするが、はっきり言ってバカ青龍はご両所の足下にも及んでいない。自分が大相撲という伝統の第一人者であるということを自覚していないのである。自覚できないならK−1にでも行ってしまえ。
 九重親方(元横綱千代の富士)が3月場所でこう言っている。「朝青龍の強さの秘密は自分への厳しさにある。もっと強くなりたい、と常に努力している・・・」
 朝青龍よ、偉大な先駆に褒められているのだ。そろそろ目覚めて品格のある大横綱になれ。