テレビのない生活

 8年間使っていたテレビが壊れた。近所の電気屋はすでに廃業をしているし、電化製品の量販店では修理など相手にしない。
 どうすればいいのか判らないまま3日が過ぎた。最初はいつも騒いでいるテレビがひっそりとしているので違和感があったが、3日もするとその静謐さに慣れてきて、「テレビが見れない」と不平を言っていた家族も、それぞれが思い思いの本を持って居間に集い静かに読書をしている。
 かつて司馬遼太郎が言っていた。
「イメージの膨らむ人が、私の見方では賢い人であり、賢くない人はテレビの見すぎでしょうね。テレビは口を開けて見ていても、頭に映像が浮かび上がらなくても、絵を与えてくれます。テレビを見すぎますと、イメージを結ぶ能力は衰弱していきます。東京大学の教授でも、頭にスクリーンのない、浮かばない人はたくさんいるんです。頭は悪くないのでしょうが、イメージは結べない。ジュースがたっぷりあるりんごの人生ではなくて、かすかすのりんごであり、寂しい人生かもしれません」
「テレビはイマジネーションを画面にしてくれますから空想力は落ちますよ。活字に刺激してもらうことによってしか、人間は人間らしくなりませんよ」
「テレビは、ディレクターなり、役者なりが作ったイメージが、頭をさっぱり働かせなくても、そのまま見ている側に入ってくる。テレビというのは、イメージを作るという点では、本当に害になることがあります」
「イマジネーションが必要ですね。それには、テレビなんかあまり見ずに、小説をお読みになる方がいいです、という感じであります」
 そうか、テレビなんかいらないんだ。ニュースだって新聞を読めばいいし、ネットから得るという方法もある。よし!この際、司馬さんの言うとおりテレビを捨ててイマジネーションを育てよう。と、一大決心をした。
 4日目の夜、帰宅すると壊れたテレビがなくなっていた。
ワシャ「捨てたの?」
嫁「業者に引き取ってもらったの」
ワシャ「それはよかった。で、以前のテレビが座っていたキャビネットの上にあるものはなあに?」
嫁「テレビ」
ワシャ「ワッシャー!買ったの?」
嫁「買ったの」
 前のテレビよりでかい液晶の薄型テレビがそこにあった。
 スイッチを入れると画面は格段にクリアで、竹内結子なんかめちゃめちゃ綺麗に映っている。竹内の微笑みに脆くも一大決心は崩れ去った。
 司馬さん、ごめんなさい。イメージを結ぶ能力はどんどんと衰弱していきそうです。