1994年 その1

 10年一昔と言うけれども、もう10年経ってしまったのかというところが実感である。
 10年前、1994年のことだ。
まだ初々しかったイチローオリックス入団3年目で200安打を打って、この年のパリーグのMVPに輝いている。当時のイチローは今の修行僧のような風貌ではなく、いかにも野球を楽しんでいるといったまだ押さなさの残る若者だった。それが10年で世界のトップになってしまった。
 脳梗塞でリハビリ中の長島さんは、渡辺元巨人軍オーナーに晒し者にされていたけれど、10年前は東京ドームの日本シリーズ第6戦で悲願の日本一を成し遂げて祝福の胴上げで宙に舞った。それが今や身の労に悩まされる日々である。
 そうそう貴乃花横綱に昇進したのもこの年だった。貴ノ浪若乃花を従えて明治神宮雲龍型の土俵入りを見せていたっけ、それが今では貴乃花親方である。弟子を18人も抱えてどこへ行くことやら。
 当時の総理大臣は村山富市だった。社会党自民党と歴史的な和解をして魂を売ってしまった。この年が事実上の社会党壊滅の年ということになる。社会党からこの富市っあんを含めて多くの大臣を出すわけだが、そいつらが皆、大臣病にとりつかれて馬脚を現してしまった。「な〜んだ、社会党自民党と同じじゃん」国民はそのことを知ってしまい、偽善者社会党は崩壊するのである。
 平成の米騒動が起きたのもこの年だった。普段からよく遊んでいた同僚に農家の倅がいたので、「米をまわしてくれ」と頼んだのだが、「ない」と、にべもなく拒絶されてしまった。こうなったらパンとうどんで1年しのぎきっていやると一大決心をしたのだが、愛知県では大して米は不足せず、なんとか惨めな思いをせずに暮らすことができた。同僚の家には(正確には、契約しているカントリーエレベーターの中には)米は売るほどあったということを後で聞いた。そのことには、別段、怒りを感じなかった。その同僚とは今でも普通に付き合っている。ただ物資が不足すると生産の手段を持たない貧乏人は惨めな思いをすることだけは覚悟しておいたほうがいい、と肝に銘じた。
(「1994年 その2」に続く)