痴呆分権の旗手

 梶原岐阜県知事のご高説が朝日新聞の「私の視点」に載っている。論旨はこうである。
全国知事会を始めとする地方6団体ががんばったので地方分権改革が進んだ。このために「市民政治」の時代が幕を開けようとしている。情報公開や住民参加により日本に真の民主主義や国民主権を確立しなければならない」
 1300字の投稿中、560字は歴史の話で残りは「地方分権が大事だ」を繰り返しているに過ぎない。自分が会長に就いている全国知事会を「明治維新の薩摩、長州」になぞらえて悦に入っておられるが、残念ながらとても空疎な意見にしか思えない。
 何故か?
 5選目に出馬しなかったことは評価できるが、後継者選びがいかにもお粗末である。自分と同じ中央官庁出身の官僚を誰と決めたかは知らないが、県民不在でさっさと後継者に選んでしまっている。これこそ最大の県民不在ではないか。
 かつて小渕総理が脳梗塞で倒れた時に、自民党は密室でその後継者として森喜朗を選んでしまった。あのボケ宰相選びはたった5人の人間で決められているのである。これとよく似た臭いが岐阜県から漂ってくる。何が情報公開だ。何が住民参加だ。おらが県のリーダーを選ぶことさえできない県民のどこに市民政治があるというのだろうか。中央から下ってくる知事をありがたくお受けするなんていう図式は「平成維新」でも「平成デモクラシー」でもなんでもない。相変わらず旧態依然とした古い体質でしかない。相変わらずの官選知事でしかない。
 まぁ梶原さんも中央からの天下り知事でしかなかったわけで、ゆえに16年もの時間を費やし岐阜県のなにものも変えることができずに勇退していく。
地方分権改革 歴史の大きな分岐点」というご高説は、自我自賛、手前味噌にしか読み取れなかった。
 梶原さんは自分たち(全国知事会)のことを幕末の薩長に例えられた。確かにそうかもしれない。薩摩藩国父島津久光は自らを英邁だと自惚れていたふしがあるが、結果として足下にいた西郷隆盛の力量をうまく使いこなせなかった。信頼を置いていた大久保利通にも騙されてしまった。己のことを知らず足下が見えていないところなどまさに現代の島津久光なのかもしれない。梶原さんが知らないだけで、岐阜県には外務省で鈴木宗男あたりのご機嫌をうかがっていたようなキャリアよりも、もっと岐阜県を憂いている人材がたくさんいると思いますよ。全国知事会長とかいって高いところでふんぞり返っていないでさ、足下を見なきゃだめだよ。といってももう遅いか(笑)・・・