型あればこその個性かな その2

 シンポジウムではお偉い先生たちがいろいろと物申しておられる。
「教師の潜在的な能力は非常に高く、自己革新の力をもっている。しかし、それを引き出すシステムに問題がある」と言われる。100人ほどの先生を知っているがろくでもないのが多いように思えるなぁ。だから我が家の子どもの教育についてもまったく教師を当てにしなかった。別段、担任にクレームをつけたりしなかったし、子どもの前でもどこでもだが、担任や子どもが知っている教師の悪口などけっして言わなかった。ただ「期待しなかった」だけである。だから子どもには塾にいかせたし、教材も買い与えてきた。ときには学習方法の指導をしたりした。そのおかげで大して優秀ではないが、勉強が嫌いな子にはならなかった。少なくとも人生が「一生勉強の積み重ねだ」ということは理解した様子だ。
 文科省の役人も東大の先生も教育評論家も難しい話はいいから、まず子どもを枠にはめて鍛えるところから始めなければだめだってことに気がついてよ。