ある本屋の死 その2

 12年後の1997年シナリオ10月号にも野沢さんのインタビューが載っている。このとき野沢さんは3年連続で挑戦した江戸川乱歩賞を「破線のマリス」で獲った直後だった。
「(2回最終選考で負けて)もう1回このレベルのものを書けば受賞できるんじゃないかって希望がありました」
「(受賞の知らせが)7時30分を過ぎても何もないんで、こりゃ駄目かなと。(中略)ほんとに待っている間、地獄でした。部屋をうろつき回ったり、空咳が出て吐いたりとか悲惨なんです。もうあの地獄だけは二度と繰り返したくないですね」
 ここでもまったく12年前と同じ野沢さんの姿がある。一面で自信家なのだが、反面はとてもネガティブな性格なのである。うろつき回ったり、吐いたりするのは極度の緊張からくるストレスの所為であり、「落ちたら落ちたで、また一からやればいいっしょ」という楽観がない。
 乱歩賞を獲るために3年間もの間、緊張感を持続するなどということは常人のできることではない。野沢さんの仕事や文章に触れて、つねに鬼気迫るものを感じていたが、やはりこういうことになったか。
 還暦を過ぎ、喜寿を超え、円熟期を迎えた野沢尚のシナリオを読んでみたかったが、もう叶わないわねぇ。日本映画は有能な素質をまた一人失った。