梟雄の時代は来るのか

 450年ほど昔、美濃(岐阜県)に梟雄がいた。名を斎藤道三、数多いる戦国大名のなかでも、己が主君を利用し、陥れ、殺害し、一介の浪人から美濃国司まで登りつめたという悪役中の悪役である。弘治2年4月20日長良川河畔で非業の死を遂げるわけであるが、この人物の破天荒な生き様を見るに、面白き一生であったろうと思える。
 彼の弟子のような存在に織田信長がいる。道三の娘婿ということになるのだが、この尾張のうつけにただならぬ期待を寄せていたことは、いろいろな史料で明白であり、あるいは美濃の老蝮、信長をして、己の手が届かなかった天下取りを成さしめんと謀っていたのかもしれない。
 道三の肖像画岐阜市常在寺に伝わっている。その絵には、強かで抜け目のなさそうな人物が描かれている。形のよい頭蓋、細くて小さい表情の読みにくい目、長い鼻はいかにも精力的で、ややしゃくれた顎は我の強そうな印象を受ける。そしてなにより異相なのが口髭から五分ほど離れたところに長く生やした頬髭である。こんなところにちょろんと髭を付けている武将を見たことがない。これだけでも道三は充分に変な親父である。
 戦国の争乱は、大悪党の道三、狂気の信長、大偽善者の家康など異常人によって捏ね上げられ、江戸300年にわたる平和国家をつくるに至るのである。
 永らく続いた平和ボケ日本は、そろそろ騒がしくなってゆくだろう。争乱期がくればその時代をまとめるのにどうしても異常人の力が必要となってくる。いつ21世紀の道三や信長が現れるのか楽しみだなぁ。