本当に危険なものって・・・

 子どもたちの周辺から危険が消えてゆく。
 確かに、子どもたちを安全に育てることには依存はない。が、少々過保護になりすぎてはいないだろうか。かつて子どもたちはスリルに富んだ遊びを楽しんでいた。木に登れば、落っこちる危険があったし、川で遊べば、おぼれる危険があった。それでもそれらをうまく忌避しながら、折り合いをつけながら、子どもたちは成長してきた。
 大坂府高槻市の遊具事故は府の安全管理が甘かった。もっと目配り気配りをすべきである。まぁトップがトップだけに府住宅供給公社も気が緩んでいたんだろうね。土俵にばっかりこだわっている場合じゃないって、フーちゃん。
 この事件で、また楽しい遊具が危険遊具指定を受けて、消えていくことになるのだろうが、危険だから子どもから遠ざけるんじゃなくて、最善の安全策を講じておいて、あとは子どもたちに委ねてゆくという形にしていったほうがいい。少量の危険がなければ遊びなどというものは面白くも何ともない。ジャングルジムに初めて登ったときのことを思い出してほしい。頂上に二本足で立ち上がった時の股間のむずむずする感覚、恐いんだけど、上から見下ろす景色は実に新鮮だったでしょ。
 同様のことが回転ドアについても言える。六本木ヒルズ以来、全国で、撤去撤去の大合唱だが、危険度0%のものなどまったくないということを覚悟すべきである。お気の毒ではあるが、回転ドアの前で子どもの手を離してはいけない。森ビル側の過失は大きいが、被害者側にまったく落ち度はなかったとも言いきれない。
 回転ドアを排除すれば、身の回りから、小さな危険はとりあえず取り除かれるだろう。だが危険を危険と認識する感覚は、どんどん鈍化してゆくのである。
 もう少し、管理者を含め個々が責任を持てば、小さな危険など物の数ではないと思うのだが、どうであろうか。
 先日、実家に帰った。甥っ子がテレビゲームをしていたので、なにげなく覗いてみた。そして愕然とした。画面は極めてリアルになっており、甥っ子は画面のなかで相手を殺すために、殴る蹴るの暴行を加えていた。あまりに残酷なので眼を逸らせてしまった。おいおい、こんなことを毎日させていて大丈夫なのか。人をいたぶることに感覚が麻痺してしまうぞ。公園の遊具よりよっぽど危険じゃないのか、と思った。