桜の樹の下には

 今日は私の悪友の誕生日である。彼とは一緒にちくわを食ったことはあるが、竹馬には乗ったことがない。それでもかれこれ40年のつきあいだった。優秀な男で地元の一番優秀な高校を出て、早稲田大学に進学をした。東京で就職するのかと思いきや、ひとり息子だったので、高齢の両親のことを慮ったのだろう、郷里にもどって地元で就職をした。とにかく頭のいい男で、それだけに灰汁も強かった。故郷が人一倍好きで、いずれはこの町を活性化するために市長になると豪語していたが、ついにその夢は果たせなかった。
 やつは、昨年の夏、世にはばからず45歳で、死んだ。
親友とか、そういうべたべたした仲ではなかった。実を言えば、死ぬ前の1年半ほどは電話すらしていなかった。葬儀は、やつの人柄だろう。友人が多く列席し、しめやかななかにも盛大な葬儀となった。それを最後にして、今はひっそりと仏壇のなかで眠っている。

 やつと相前後して、早稲田で同窓だった外交官が死んだ。奥参事官である。友人だったとは聞いていなかったが、「知人に外務省に入ったやつがいる」とは、言っていたが、今となってはそれが奥さんのことなのか、確かめようもない。まぁ交誼はなかっただろうが、4年間も同じキャンパスにいたのである。すれ違ったことくらいはあったのかもしれない。
 ただ相次いで死んだ早稲田大学のOB二人の死は対照的だった。
やつの静かな死に比較して、奥さんの死は無残だった。その死に方がではない。その死の扱われかた、が、である。
 報道陣は葬儀に殺到し、悲しみに沈んでいる遺族を容赦なく全世界へとさらけ出した。雑誌には、奥さんの遺体写真が掲載され、その手記は単行本として発刊されイラク戦争肯定派にその言動を利用されている。また生前の発言を政治家どものプロパガンダに都合よく使われ、はてさて本当にそう思っていたのだろうかという話がいくつか聞こえてきた。奥さん、さぞや泉下で面食らっておられることだろう。
 東海では一斉に桜が開きはじめた。(桜花をみるとどうしても「死」について考えてしまうなぁ)やつも奥さんもついに今年の桜を見られなかった。世間は(やつの友人を含む)そんなことはとうに忘れて、花陰で脳天気に酒をあおっている。その満開の桜の樹の下に死体が埋まっているとも知らずに・・・