こんな教師だっているんだ!

 うーん・・・
夜回り先生」という本を読んだ。かなり重かった。著者水谷先生の生き様が重い。夜学の教師という仕事をこなしながら、12年間、夜の街を回って、5000人の若者と向き合ってきた。簡単にできることではない。日々、ひねもすのたりのたりと生きている私とは比較にならないほど真剣な人生である。
「もし花を咲かせることなく、しぼんだり枯れたりする子どもがいれば、それはまぎれもなく大人のせいであり、子どもはその被害者だ」と水谷先生はいう。そのとおりだろう。だが私には言えない。現実を直視し、逃げずに生きてきた水谷先生だから言えるセリフなのである。
 この人に比べたら、私は惰眠を貪っているなぁ。

 水谷先生は、ホームページで次のように言っている。
テレビ朝日の『TVタックル』という番組に挿入映像で出ました。でも、哀しかった。水谷の夜回りを茶化している。哀しいです。また、ある大学教授は、水谷の夜回りを『落ち葉拾い』と・・・。夜の町に沈んでいる子どもたちは落ち葉ではありません。困ったものです。思いつきで話をして、ただ人の気をひく。哀れだなと感じました。もうこの種の番組には二度と協力はしません」
 確かにあの番組はひどい。でもね、あのバカ番組で先生のことを知ることができた人(私もです)もいるのだから、あれはあれでよかったと思いますよ。
 このところ教師という人種に違和感を感じていたので、たった一人でも水谷先生のような変人教師がいることを知って、救われるような気がした。地獄の中にも仏はいたのだ。まぁ水谷先生ばかりでも困るだろうが、もう少し子どもを愛せることのできる、そのために自分を粗末にできる教師が増えてもいいのではないか。
 何人かの友人が教師になっている。なぜか優等生ばかりなのだが、彼らでは子どもの悲しみは理解できないような気がする。もともとすくすくと育った連中で、闇の世界を見たことがない。だから闇の中で命をすり減らして子どもと向きあう水谷先生のような生き方は不可能だ。
 終章で水谷先生は、「子どもたちの存在を認めて、生きていることを喜んでやってほしい」と、大人たちに呼びかけている。そのとおりだとは思うが、何人の大人が、教師がこの叫びに応えることができるだろうか。(猛省猛省)

 ※「夜回り先生水谷修著、サンクチュアリ出版