ダグワドルジの独走かなぁ?

 明日から春場所が始まる。でもあまりわくわくしない。横綱大関陣に魅力がないからである。一人横綱朝青龍はちっとも横綱らしくなく、やみくもに強いだけのガキが土俵に上がっているばかりだし、大関たちは、たまに優勝したりするのだが、そのあと体調を崩して休場し、すぐに角番になり、引き技もつかってなんとか勝ち越して、大関の地位にしがみつくのが精一杯の不甲斐なさである。もう少し横綱が謙虚になり、大関陣が自覚してふんばらないと相撲の人気は凋落する一方だ。
 手元に24年前の「相撲(春場所展望號)」がある。表紙は、新大関の増位山である。当時、彼はレコードを何枚も出していたプロの歌手であり、もちろん飲み屋では最強の人気力士だった。「そんな〜ゆうこにほれま〜し〜た」と、だみ声のおっさんが増位山の持ち歌をカラオケで歌っていたっけ。
 この時期の上位陣は充実している。まず北の湖(現理事長)、圧倒的な強さを誇るヒールだったが、朝青龍のような軽薄さはなかった。角界の第一人者を自負し、常に真摯だった。三重ノ海武蔵川親方)も強かった。地味な横綱だったが自力があり安定感があった。色男の若乃花(現間垣親方)やどこかへ飛んでいってしまった輪島などキャラクターも多彩だった。大関には小兵の増位山と貴ノ花(二子山親方)が、四横綱に食い下がっていた。
 この6人を追うのが、隆の里(第59代横綱)小兵鷲羽山、宴会部長荒勢、突貫小僧の富士櫻、朝青龍のわがままに泣いている高砂親方の朝汐、昭和の名横綱となった千代の富士も幕内で輝きはじめていた。うーん思い出してもわくわくするメンバーだった。
 この頃、序二段で四苦八苦していた力士がいる。初場所、2勝5敗で負け越した。17歳の若いお相撲さんの名前は、寺尾という。昭和54年に初土俵を踏んだ男は、それから23年間土俵をつとめ、終盤は十両であっても、その精悍な風貌とおもいきりのいい相撲で大関以上の人気を博した。
 平成14年、寺尾は年寄錣山を襲名して、今年、師匠と弟子3人の小さな部屋をつくった。「鶴瓶の家族に乾杯」で見せた他者に対する気遣いを持ちつづければ、きっといい弟子が育っていくに違いない。それを楽しみにして、やっぱり大相撲を観ようっと!