野次馬について

 松本被告に死刑判決がでた。
 悪いことは悪いことで、このことについては多くの識者たちが口を極めてコメントしているので、あえて触れない。
 それよりも事件発覚後、上九一色村サティアン周辺に大挙押し寄せた野次馬たちのことである。当時のテレビ映像では、サティアンを背景にして記念写真をとる中年のご婦人方の間延びした表情が映し出されていた。Vサインなんかするなよ。何を考えているんだ(何も考えていないと思うけど)。
 このおばさんたちに代表される、いわゆる野次馬と言う連中は、緊張感に欠け、実に下世話な好奇心の持ち主だが、善良な人々である。
 夏目漱石は「菫ほどな小さき人に生まれたし」と書いた。来世、もしもう一度生まれるなら、目立たない野辺に咲く平凡な草のような人でありたいと願った。その程度に生まれていれば、生きること、死ぬことが、何の苦もなくてよかったろうなと、文豪は考えていた。非凡であるということの辛さがこの句にはにじみでている。
 しかし、漱石があこがれた小さき人は、草花(そうか)のようにやわらかで謙虚で楚々とした存在とは限らない。昨今のすみれは、ニュースで流れたサティアンなる建物を見物するために、四輪駆動車で山野を駆けまわり、それこそ野に咲く可憐な花をその轍で圧殺し、蹂躪する。もうこうなると漱石が望んだすみれとは言えまい。
 はたして漱石、現在のすみれを目の当たりにして、それでも「菫ほどな・・・」と思っただろうか。
 野次馬は、すぐにサティアンに飽きてしまった。そして飢えたイナゴのように次の餌を求めて飛び去っていった。昨日あたりは東京地裁周辺に現れたという情報もある。
 人は、善良だからといって、法に触れないからといって何をしてもいいということではない。野次馬はもう少し謙抑であるべきだ。(無理か・・・)