世界地図を見るのが好き

 今、アジア主要部の地図を眺めている。ちょうど日本からエジプトまでが網羅されている。東経20°から150°までのユーラシア大陸である。
 東の端に小さな列島がある。もちろん日本。これがどうにも小さい。織田信長桶狭間今川義元を討って京に上洛を果たすまで8年の歳月を要している。幅70センチある地図上で彼の8年は小指の爪幅より小さい。信長がその人生を賭けて縦横に走り回った日本の中央部も親指で押さえられる範囲だ。彼の一生がこの図上ではそれほどささやかなのである。
 さてペルシア帝国のキロス王はエーゲ海からインダス川まで図上25センチの大邦土を押さえた。マケドニアのアレクサンドル大王は現在のユーゴスラビアからインダス川まで図上30センチの大帝国を作り上げた。
 始皇帝の秦は南北、朝鮮国境からベトナム北部まで、東西は成都から上海までの中国東部の大半を押さえた。手のひらで収まらない広大さである。ローマ帝国は地中海を中海としてスペインから広大なヨーロッパ大陸カスピ海まで及びシリア、エジプトを回り、アフリカ大陸の北部をジブラルタル経て再びヨーロッパに戻るという強大さだし、イスラム帝国は大西洋から地中海を経てアラビア海まで及ぶ大版図である。世界帝国である元にいたっては、オホーツク海からバルト海の手前までを勢力下におき、実はこの幅70センチのアジア主要部の地図では収まらない帝国を樹立しているのである。
 だから信長が小さいということではない。
 近代の日本でも中国東北部から南太平洋にいたる広大な海洋帝国を一時期にしろつくった。
 だから日本近代の歴史が立派でその時代を築いた軍部は英雄だったということではないのである。信長は親指の爪一枚の地域しか押さえられなかったにしろ英雄なのである。要は量ではない。質なのだ。
 大きな皿は、それはそれで価値がある。大きいという価値もあるだろうし美術的な価値もあるかもしれない。抹茶茶碗は小さくとも価値のあるものは価値がある。そういうことである。
 ペルシア帝国は大きなペルシア皿、元はさらに大きな景徳鎮の大皿、信長帝国は小ぶりの紫匂志野。
 地図を眺めていて、そんなとりとめもないことを思った。