最近、子どもの名前にとぼけたものが多い。読めない名前が多いのである。無意味で派手な名前をつけやがって、恥ずかしくないのか、と思った。
それを勢古浩爾は「まれに見るバカ」で、琴乃、愛蓮、優香・・・こういった浮薄な名前をキャバクラの源氏名と決めつけている。そうだよなぁ、そういえばピンサロ(行ったことはないが)のねーちゃんの名前だよな(知らないけど)。
「おそらく三十代が多いと思われるこの子らの親たちは、やはり相当のバカである。親の見栄とか親バカという範疇をはるかに凌駕している。自分の子には思い切り個性的であってもらいたい、という気持ちが思い余って、特権的な存在であるかのように錯覚している」とも言いきっている。
また、「人名の世界地図」では、名前についてこう言う。
「名は、時代によって変容をうけながらも、長い歳月に耐えて生き残っている。ただ、そうした伝統名も、その名前が本来もっていた意味は失われ、言葉の響きのよしあしや有名人の名にあやかって名付けられることが多くなったという。しかし、名前は、数千年にわたる民族、人種、宗教がわかちがたく溶け合った坩堝のなかから生まれたものである」
今の日本のバカ親どもは、名前を単なる記号に貶めている。元々漢字すらまともに書けないようなバカがどこからか引っ張りだしてきたようないかがわしい字を並べただけで本来の字の意味など考えもしない。
こんな名前がある。「建瑠」は「タテル」か?「瑠」は玉の名で、それなら玉を建てるという意味の名か?へんてこりんな名だな。バカがつけたとしか考えられない。音だけにしか意味の無い名だ。「夏緯」は「ナツイ」か?あるいは「カイ」か?夏の横糸という意味だな。なんじゃそりゃ。
少なくとも、名前には音以外に意味付けがなければならないと思っている。深みのある名前、奥行きのある名前のほうが、その持ち主の品位を高めるような気がする。将来、子どもに名づけた理由を聞かれたときに「実はね・・・」と説明するのか親の義務だろう。そのとき「うーん、なんとなく」と答えるのかね、バカ親は。