モラルセンスについて

 昨日の昼のことだった。労務者風の男が楊枝で歯をせせりながらラーメン屋から出てきた。交差点にさしかかって信号待ちをしている間に、楊枝をはき捨て、胸ポケットからタバコを取り出して1本をくわえた。どうやら最後の1本らしく人差し指で箱の中を探っていたが、握りつぶすとそのまま路上に捨てた。
 なんという傍若無人、なんというモラル・ポリューション。
 だが「江戸期に比較して、現在のモラルは低下の一途をたどっている」などとつまらないことを言うつもりはまったくない。江戸期にも、このおっさんと同様の公共心などまったく持ち合わせていない輩はわんさかといた。割合で言えば今より多かった。
 ただ、江戸期のよさは、その傍若無人な連中を身分という箍(たが)で締め付けていたため、社会全体としてのモラルが今よりも高かった、ということにある。
 武士という知識階級があり、この階級(当然、武士の中にもバカはいた)が朱子学という道徳規範の塊のような学問を強いられ、故に基礎的なモラルセンスは成人する前に身に付けていたことが大きい。これは農民、町人の上澄みにも言えることで、彼らのように道徳意識の高い層が、モラルの牽引役としてリーダーシップを発揮していったわけである。
そして低モラル層はそのまま身分制度の下位に置かれ、モラルセンスのある層に対して一定の距離を保ち、あるいは遠慮して生きていた。お陰で、社会秩序が正常に機能していたのである。
 それが戦後になり、総理大臣もモラルの低い連中もすべての人間を「法の下に平等である」とやってしまったから、下司がつけあがってしまった。そのために公徳心の高いいわゆる良民が虐げられ、厚顔無恥な輩が我が物顔で練り歩く社会になったのである。
 この際、品性のない人間がいばっている自由平等社会を捨てて、多少不自由があっても、他者に対して配慮を欠かさない安全な社会を構築したほうがいいのではないか。上品な老夫婦が大手を振って町を歩ける社会にもうそろそろ戻ってもいいのではないだろうか。モラルの低いごくつぶしは居たっていいのだ。ただ自分の分をわきまえて、遠慮しながら老夫婦に道を譲り、彼らに気取られないように「てやんでぇ」とか愚痴りながらつばを吐く。そういう社会を実現しなければならない。