衆議院議員の山中貞則氏が20日お亡くなりになられた。82歳だった。ご冥福を祈りたい。
それにしても82歳の高齢者に代議士をつとめさせるというのは、もちろんこういったリスクがあるということを有権者は認識しなければならない。鹿児島5区では補選が実施されるが、この費用はもちろん余分な出費ということになる。
前回の衆議院議員選挙に立候補を表明した80歳以上の爺さんが4人いた。全員自民党で、中曽根大勲位と宮沢ヨーダ、税調会長の相沢と税調ノドン(あっ「のドン」か)山中である。このうち中曽根氏と宮沢氏は引退勧告を受けて、泣く泣く退場し、相沢氏は賢明な選挙民のおかげで老醜を晒さずにすんだ。唯一当選を果たした山中氏は周知のとおりである。結局、出るの出ないのと大騒ぎをした80歳以上の先生方だったが、今となれば、最初から出なければよかったのである。
残念ながら老人の未来はさほど長くない。30年も生きれば100歳を超えてしまう。老醜を晒す前に若手にその地位を禅譲し、国の行く末を思索しながら余生を送るというのも素敵じゃないか。
山中さんが第二次岸内閣で大蔵政務次官となって官僚と渡り合ったのは45年も過去の話である。戦国期であれば、織田信長が桶狭間で今川義元を破って鮮烈なデビューを飾ってから、岐阜を征し、浅井氏を滅ぼし、武田氏を滅ぼし、本願寺を蹂躙し、本能寺で殺され、秀吉が台頭し、勝家を滅ぼし、豊臣政権を樹立し、朝鮮出兵をし、関ヶ原の合戦で家康が勝利し、江戸幕府を開き、秀忠に将軍職を譲る、というところで45年である。長期にわたって同一の人間が影響を与えつづけるというのは、けっして健全なことではないと思うのだが、いかがか。