慶應4年3月1日、江戸梶橋の大名屋敷を出立する200人ばかりの武装集団があった。「甲陽鎮撫隊」と名づけられた滑稽な一団は、新選組局長近藤勇に率いられ、甲府城を目指し西へ進んでいった。 この5ヶ月前、すでに徳川家の大政奉還は済まされている。だか…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。