幸先はよし

 今日から東京方面に出張です。ですから日記のほうもやや手抜きになると思います。  さて、今朝の夢見はよかった。鏡の中からミニスカートのジンビーが現われたんですぞ。二言三言、会話をしたんだけどあまりよく覚えていない。でも、なんだか楽しかったのだ。  それでは行ってきま~す。

名勝負ついえる

 おそらく相撲史に刻まれるほどの大一番を、なんだかマヌケな行司のせいで、台無しにしてしまった。

《大相撲で前代未聞の珍事 「まわし待った」で異例の取り直し 照ノ富士の逆転劇に場内騒然》

https://news.yahoo.co.jp/articles/51a9cef9b593bf00e46f1c9196ae4c91082adf90

 相撲ファンでない方にはどうでもいいことだと思いますが、幼稚園に入る前からテレビ桟敷に座って祖父と相撲を楽しんできたワシャには到底ゆるせる判断ではない。

 横綱初挑戦の若き若元春。両者はけんか四つ(差し手が逆ですんなりと組めずその攻防も見どころ)になる。しかし若き挑戦者は先手、先手で攻めて2分をこえる攻防の末に、左下手を引いて、若元春充分の左四つで照ノ富士を寄り切った。素晴らしい一番だった。

 ところがだ、空気の抜けたようなジイサン行司が取り組み最後のクライマックスで、押し切られている最中の照ノ富士を見ながら両者に近づいた。照ノ富士はジイサンに気がついたがそのまま寄り切られた。

「ヘンな行動をする行司だな」と思ったが、若元春のまわしの結び目がほどけていて、これを見つけたジイサンは「まわし待った」を掛けるべく二人に寄っていったらしい。

 しかし、これは違う。確かにまわしの結び目はほどけている。だがそれは直ちにまわしが取れてしまうという事態にはならない。実際に過去何度もまわしの結び目が解けているが、そのまま取り組みを続けて決着のついた相撲を何番も見てきた。  行司が「待った」をかけるなら、土俵際で照ノ富士が踏ん張って、若元春の動きを止めたときにするべきで、両者が動いている段階で声を掛けるべきではない。厳しいことを言えば、形勢が不利になっている照ノ富士は、このままでは寄り切られて負けが決まってしまうので、「待った」を理由にして体勢を整えようと考えたかもしれない、というか、勝つことを至上命題とするモンゴル力士では充分にありうることなのだ。

 結局、審判から物言いがついて、3分に及ぶ協議の結果、行司が「待った」を掛けたつもりのあたりから取り直すことになった。

 でもね、ジイサンが声を上げ、寄り添うまでに両者は大きく動いている。どこを捉えて「待った」なのか?行事と審判長が両者の足の位置を変えたり、腕の位置を変更したりして土俵上でごちゃごちゃやっていたが、勝ちに拘る照ノ富士は、どうしてもテメエに都合のいい形にしかしない。寄り切られる時にはもっと体が右に傾いていたはずなのに、背筋は真っ直ぐにしたままである。頭ももっと右に落ちていたにも関わらずいい位置で収めようとしている。まさにそうなった。そして取り直したら、あっというまに若元春は下手投げで転がされて負けた。

 当たり前だわさ。疲労していた横綱は10分のインターバルをもらって回復しているし、「待った」の瞬間に若元春が押し込んでいた勢いなど再現できるものではない。

 解説をしていた前の海さんも「若元春が攻めている途中だったので、止めるべきじゃなかったですねえ」、「前代未聞ですね」、「厳しいようですが、行司の大失態と言われても仕方ないですね」と言っていた。

 ことなかれ主義の蔓延する相撲協会は、照ノ富士のしたてなげの勝ちで終わらせようとしているが、そうは問屋が卸さない。審判からのマヌケな「物言い」も増えているし、今回のような好角家がどう見ても疑問を呈するような行司、審判の判断が横行するから、名古屋場所は「満員御礼」にならない。もう少し相撲協会はピリッとしろよ。相撲ファンが減るぞ!

 厳しいようだが、式守伊之助、責任を取ったほうがいい。

読書は楽し。でも寝床ではリラックスできるものを

 ワシャの寝床には『司馬遼太郎が考えたこと』(新潮文庫)全15巻が揃っている。そればかりではなく司馬さんの小説、エッセイ、紀行などが文庫を中心にずらっと並んである。

 司馬文献、司馬関連本は書庫に全集から雑誌のコピーまでよほどのものは配架してあるつもりだ。『司馬遼太郎が考えたこと』も単行本が15冊あるんだけど、布団に入ってから階下の書庫まで取りにいくのは面倒なので、それなら枕元に揃えておけということになった。それが『司馬遼太郎が考えたこと』だけではすまなくなって、『街道をゆく』も読みたくなるし、『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』も読みたいので・・・ということでだんだん寝床が狭くなっているのじゃ。

 

 そんなことはどうでもいい。夕べ、ちょいと寝つかれなくて、枕元に手を伸ばして本を取ったら『司馬遼太郎が考えたこと』の第7巻でたまたま開いたところが昭和47年11月の講演録で「日本の明治維新前後における朝鮮・日本・中国という国の元首の呼称について」と題されたもので、普通、こんな面倒くさそうなのは寝る前に読んではいけません。

 しかし読んでしまいました。目が覚めました。

 支那の元首は「皇帝」と呼ぶ。習近平は「皇帝」と呼ばれたくて必死に活動をしている。朝鮮は「王」である。これは完全なる支那冊封体制に組み込まれた民族元首の呼ばれ方で、支那の属国であるという証明と言っていい。

 さて、日本である。日本の国家元首は「天皇」である。この呼称が歴史上に登場するのは6世紀からで、その証拠として中宮寺仏画に「天皇」という記載があるからだと司馬さんは言う。6世紀というと聖徳太子の活躍した時代で、聖徳太子支那の皇帝に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」と書簡を送ったことはあまりにも有名だが、聖徳太子はこの書簡の中で「天皇」と「皇帝」と同列に扱っている。四方の蛮族がみな支那皇帝にひれ伏す中(朝鮮もね)、日本だけが毅然と「同格である」と言い切った。この聖徳太子の毅然たる態度に日本人は感動するのである。だから1万円札になっているんですよ。申し訳ないけれど、福沢さんとか渋沢さんとは格が違っている。

 この元首の呼称が朝鮮民族には気に入らない。なにせ「皇」の字を使えるのは北京におられる支那皇帝お一人なのである。だから皇帝の使いがくれば、朝鮮王はソウルの西にある迎恩門までおもむき、そこで地面に土下座をして九跪三叩頭(きゅうきさんこうとう)の礼をする。

 この礼、臣下が皇帝に対しておこなう最敬礼とされており、皇帝の家来の宦官が号令をかけるのを合図に、朝鮮王は土下座し、「一叩頭(イーコートゥ)、再叩頭(ツァイコートゥ)、三叩頭(サンコートゥ)」という号令の度に頭を地に打ち付ける。再び立ち上がり、再び土下座をしてまた同じ行動をとる。さらにもう一度だから通算9回、頭を地面に叩きつけてこの礼は終了する。

 これ、ワシャが奴隷でもこんな礼はとりたくない。それを一民族の元首が皇帝ではなく、皇帝の臣下である宦官に対して行うのである。これは民俗性を損なう行為だったと言わざるをえない。

 もちろん不遜な聖徳太子が先鞭をつけてくれたおかげで、日本の天皇はそんな屈辱的な礼をとったことは一度もない。それが日本人の2000年の誇りになっていると言っても過言ではあるまい。

 

 この朝鮮、日本、支那の元首の考え方、それぞれの体制が相手元首に対しての考え方などが、2000年経っても変わっていないことに驚かされる。

 習近平皇帝は、「天から命を受けた世界秩序の中心の人」だと思っているし、習近平を支える共産党(帝国)幹部にしたって、皇帝に対する好悪の感情はあっても、そこに従っていけば大きな富を手に入れられるから、宦官たちのように侍ってご機嫌を取る。

 朝鮮にしても古代からなんら変わっていない。例えば、日本を見下すこと甚だしいでしょ。なぜか朝鮮民族は現実を見ずに、序列とか秩序を重んじて、民族の元首が「皇」の字を使うことに極度の不快感を表す。そして「華夷秩序も知らぬ野蛮人め」と見下す。

 端から日本はそんな属国を相手にしていないから、明治維新が成立した際に、清国やその他の諸外国には通知をしたのだが、朝鮮には室町時代からの慣例に従って、対馬藩を通じて政権交代の事情を連絡した。この中に「皇」の字が使われており、朝鮮は烈火のごとく怒り、対馬藩の書簡を突き返したそうな。

 なんだか最近も似たようなことが度々あるでしょ。韓国が日本から輸入したものを北朝鮮横流ししていて、それを問題視した日本がルールを厳重にする(といっても書類数枚の話)と決定したことを受けて、烈火のごとく怒り狂ったでしょ。150年前と何も変わってはいないのだ。

 

 安倍元首相が亡くなられて、各国の首脳は次々と弔意を示した。あのプーチンですら、けっこう名分の弔意文を送ってきた。しかし、韓国はかなり遅れた。それは、2000年の華夷秩序に照らせば、朝鮮半島の下位にいる野蛮な民族の首相が死んだくらいで、「そうやすやすと弔意を示せるか」という思いがある。さらに習近平皇帝に至っては、同様の想いの上に「たかが元首の臣下ではないか、その程度の下っ端に天から命を受けている朕が弔意など示せるものか」ということなのだ。

 

 というようなことを、司馬さんの講演録を読みながら思っていたら、寝そびれるのは当たり前だった。

元気のある街

 夕べ、刈谷駅前でちょいとした宴をもった。小ぎれいな風情のある店で、久しぶりの友達と酒を酌み交わした。こういう飲み会が楽しい。

 駅の北側で飲むのは久しぶりだったが、以前と比べると飲食店の数も増え、人出も多く、賑わいを感じた。駅の周辺の整備が進んで、ちょっとした繁華街を形成している。

 JRの快速で東に一駅5分で安城駅なのだが、これが刈谷駅前とは対照的に閑散としている。静かでいいのだが、若い女性が一人で歩くにはちょいと不安なほど、人がいない。各駅停車駅ならあきらめもつきますが、快速停車駅で、取りあえず安城市中心市街地と名乗っている場所の有り様なのである。

 人口でも予算規模でも安城市のほうが上回っているのだけれど、街づくりということでは、大きく水を空けられてしまった。行政のセンスのようなものが根本的に違っているんだろうね。

 おそらく20年前には、両市の中心市街地の繁華さはそれほど違いはなかった。どちらも地方都市によくある駅前風景で、居酒屋やスナックがあって、中華料理や和食の店があって、いかがわしい店も路地の奥に隠れているような、そんな街だったが、それがどうだい、20年でかたや繁華街になり、もう一方はまっくらなシャッター商店街に落ちぶれた。 ワシャは暗黒安城の20年と呼んでいる(怒)。

 なにがこうしてしまったかということについては、あえて触れないが、そのうち触れるが、いろいろな「愚」が重なって、街を壊していくことだけは間違いない。 刈谷で飲んだ酒が、安城で一気に醒めてしまった。

朝日新聞の罪

 昨日、いつもの本屋さんに立ち寄った。ざっと棚を見て、最終的に雑誌コーナーにたどり着く。諸々の週刊誌が並んでいるけれど、見出しは一様に「安倍さん」の関連記事である。図書館に立ち寄った後だったので、手には鞄やら資料の詰まった手提げを持っていた。だったら本屋を素通りすればいいのに、そういうわけにはいかない精神構造になっているんですな(笑)。

 鞄やら資料を抱えたまま立ち読みするのは、なかなか技術が必要ですぞ。立ち読み技術はあるんだけど、なにせ重い。鞄にはパソコンから手帳、携帯2台、今読んでいる新書が2冊、さらに大金の入った財布(笑)や小物を詰めたポシェットに水まで500cc入っている。手提げのほうは10冊の本とコピーの束でパンパンとなっている。この状態で、各誌の目次だけをちゃちゃちゃっと見て、結局、「週刊文春」と「週刊新潮」の2冊だけを求めた。

週刊文春」は安倍さんの特集号で44ページを割いて報じる。「週刊新潮」でも27ページにわたって「安倍さん」についての櫻井よしこさんなどの評論を載せている。

 その中でワシャの興味を引いたのが、ジャーナリストの高山正之氏の連載「変幻自在」だった。題して「殺しのお膳立て」。

 要は、今回の奈良西大寺でのテロを朝日新聞が「お膳立てしたのではないか」と高山氏は見ている。

 その理由として、かつて常軌を逸する安倍さんへの攻撃を三宅久之氏から糺された当時の主筆若宮啓文(後に支那で変死)が「社是だから。安倍の葬式はウチで出す」とまで言い切ったことを挙げている。

 また、2012年に朝日新聞星浩が「慰安婦問題をどう処理する気か?」と質問した際に、安倍さんの答えが秀逸だった。

慰安婦問題は星さん、あなたの朝日新聞が吉田政治という詐欺師の話を事実みたいに広めたからでしょう」

 これに星は対抗できずあたふたしたと高山氏は言う。

 この「慰安婦詐欺話」では、朝日新聞の虚言が白日の下に晒され、当時の木村社長はクビを差し出すこととなった。

 このことを逆恨みした朝日新聞は、安倍さんについて、ないことないことを断言すると後々面倒くさくなるので、「・・・させたかも」と逃げを打ちつつ、大々的に「モリカケサクラ」で一大キャンペーンを張った。卑怯なやりくちですね。

 なにもなかったにも関わらず、朝日新聞は「慰安婦問題」と同様の悪質な虚言で国民を騙そうとした。しかしなにも出なかったことは周知のとおりである。なにもなかったんだからなにも出ない、当たり前ですな。

 左翼と朝日はなにもない話で国会を空転させ続けた。それでも安倍さんは多くの有効な法案を通過させ、日本のために働いた。

 しかし、阿呆学者の山口二郎が「安倍を叩き斬ってやる」の罵声を全国放送で流し、安倍さんは再度の引退に追い込まれたと、高山氏は言われる。

 さらに活動家が安倍氏の演説妨害をし、それを訴えさせてサヨクの札幌地裁から出た「演説妨害で警官は聴衆を規制するな」という判決で、警察側の気を削ぐことに成功する。

 そしてこうまとめる。

《紙面で元首相を不実の人のように書き、山口二郎に殺害を喧伝させ、警備陣には街頭演説の聴衆を規制させないように牽制する。朝日は山上徹也の犯行が成功するようお膳立てしていたとしか思えない。》

 おっしゃるとおり。

 今回の2冊は、記念として取っておこう。

よほどネタがないのか?

生稲晃子議員 波乱だらけの選挙活動でついた元おニャン子工藤静香との圧倒的な差》

https://news.yahoo.co.jp/articles/7f9db6f97926f5cf77aad23407cf4322e0a5807e

「女性自身」が東京選挙区で5番目に当選した元おニャン子生稲晃子議員を腐しまくっている。

 ただね、普通の女性が参議院議員選挙に出馬するって並大抵のことではない。よほど己に自信があるか、己のことを知らないか・・・のどちらかである。

 とはいえ、どれほど優秀で愛国者であっても、最初の選挙は素人に決まっている。一事が万事、その候補者のせいかというと、そんなことは絶対にない。とくに生稲議員を見ていれば、こういったドロドロした世界には無縁の人生を送ってきたことが明確に見えている。

 要は、生稲候補を支えるスタッフのモノが悪かった、この一点に尽きる。東京選挙区で自民2人目候補として蓮舫山本太郎あたりとガチンコでやり合うわけである。そこはスタッフがしっかりと支えないと。

 そもそも有権者も、芸能人枠、有名人枠に大して期待はしていないって。有権者もいい加減だし、候補者もいい加減なことは織り込み済みでっせ。

 今さら、「候補者アンケートに無回答だった」とか「別のアンケートには回答したが、内容が他候補のものに類似していた」とかどうでもいいじゃん。上っ面だけ、いい子ぶっている口先だけは一丁前な議員など山ほどいるわさ。

 ワシャだって、生稲議員がモノがいいなどとはこれっぽっちも思わないけれど、蓮舫議員や山本太郎議員とどれほどの遜色があるのだろう。

 言うまでもなくそれ以下の国会議員は腐るほどいて、本当に腐っているのも何人かはいる。

 例えば、ネーチャンを買ってホテルに連れ込みチョメチョメした代議士がいましたが、そんなことですわ。

 あえて生稲議員を現役で芸能人をやっている工藤静香と比較する意味が判らない。まったく別の道を歩んでいる工藤を褒め称え、それに比べて生稲は・・・ともっともらしく書いているが、工藤が「今年ソロデビュー35周年を迎えた」とか「コンサートツアーを予定」とか「20代の頃と変わらない歌唱力を見せつけました」とか「プライベートでも充実の時を過ごしている」とか、生稲議員とは別人なんだから、元同僚だったということで比較されてもねぇ。

 それで、工藤が日本のために尽くそうとしているならば評価してもいいけれど、たまたま芸能活動を続けているということだけで、生稲との大きな差をまったく感じない。

「どっちもがんばっているね」で、いいじゃん。