令和3年のご挨拶

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 さて、令和3年(2021)丑年が始まりました。それではまずウシお題に一席お付き合いを願います。

 

「丑」という字のことである。この字は象形文字で、「手の指先に力を入れて、強くものを執る形」からきているのだそうな。「牛」とはまったく関係がなく、白川静先生によれば、「十二支はもと十干と組み合わせて日の干支に用いたもので、記号的なものにすぎない」ということで、たまたま☆とか▲というような記号的に、十二支の2番目に割り振られたものが「丑」だったということらしい。ほんらいの意味から言えば拳を握ってガッツポーズをしているというようなことで、それならば武漢肺炎を撃滅して、拳をかざしてきめのポーズをとりたいものだ。

 干支でいうと「辛丑」(かのとうし)、「辛」が「金」で「丑」が「牛」なので、金牛ということになる。おおお、金牛と言えば「花巻の金ベコ」ではないか!これですな。

https://hanamaki-cci.or.jp/local_info/article/kinbeko/

 これがもっとも今年に相応しい牛と言える。ちなみにこの金牛、昭和36年の年賀切手になっている。

https://store.shopping.yahoo.co.jp/yuuhiflower/item00105.html?sc_i=shp_pc_search_itemlist_shsrg_img

 これね。郵政省の切手担当が「辛丑」から「金牛」にたどり着き、「花巻の金ベコ」に想いを飛ばしたんですね。

 西三河知立市に「牛田」(うした)という地名がある。地名の由来は、牛の形をした田んぼがあったというわけではなく、もっと奥深い理由があった。その地で牛頭天王の后の稲田姫を祀ったところから「牛」頭天王、稲「田」姫の「牛」と「田」を採ったという説があるらしい。しかし、なんとなく後付けっぽいなぁ。それなら「牛稲」とかのほうが自然のようだけれど。でも、なんとなくありがた~い説なのでそれでいいか(笑)。

 西尾張津島市にも「牛田」という地名があって、こちらは「海塩田」からの転訛だという。これはかなり信憑性のある説ですな。

 ちなみに知立市域には、かつて「牛橋村」という村が存在していた。前述の「牛田」と「八橋」などが合併してそう名乗っていたようだ。しかしその後、知立町に組み込まれて、造語の地名「牛橋」の名は消え、もとの「牛田」と「八橋」にもどったそうな。もちろん造られた地名より、由緒ある地名のほうが百倍も価値があるのだった。

 花巻の金の牛、奥州で採れた砂金を都まで運んだそうな。岩手あたりからだと日本海を西に向かったのかもしれない。しかし東海道を通ったなら池鯉鮒あたりを通過したかも知れず、そうなったら当然、牛田あたりを金の牛は通っている。あるいは牛頭天王祇園精舎の守護神であり、都に登った金牛の一行が、それを池鯉鮒にもたらしたのかも・・・などといい加減な妄想を元旦から拡げている。

 都つながりで、太秦広隆寺では「牛祭」というものが行われている。寺の行者が仮面をかぶって、異様な服装をして牛に乗るのである。この祭は、「悪病退散」を祈願するものであり、そういった意味から「牛祭」は「武漢肺炎退散」に効果がある。なんとか「牛頭天王」のご利益で「武漢ウイルス」を撃滅していきたいものだ。

 

 そんなことで、丑年の念頭に牛尽くしということで、お粗末さまでした。

令和3年が皆様にとって「うっしっしー」な一年になりますことをお祈りして、新年のご挨拶にかえさせていただきます。