読書

 夕べ、読書会。課題図書は、有馬哲夫『こうして歴史問題は捏造される』(新潮新書)だった。韓国が喚く「戦時売春婦」、中国が騒ぐ「南京戦闘」などを正確な一次資料で考えていこう、というのが有馬氏の主張である。フィクションや人の発言に依るものは証拠とはならない。中韓お家芸であるのだが、これにのつてはいけないと、有馬氏は懸念を示す。
中韓の嘘に対して嘘で応え、プロパガンダに対して誹謗に近いカウンター・プロパガンダで返すという傾向です。》
《もっと深刻なのはメディアによる捏造です。「慰安婦問題」は韓国側ではなく、日本を代表する全国紙である朝日新聞が発生源です。これは「誤報」とされていますが、三〇年以上「誤報」が放置され、繰り返されることはあり得ません。》
 右も左も証拠を並べてしっかりとした議論をすべきだと言っている。とくに朝日新聞

 その朝日新聞の社会面に《読書1日「0分」大学生5割超す》の見出しがあった。朝日の記事なので、のっけから疑いながら読んでいる自分も悲しいけれど、講読者にそんな読み方をさせるんじゃないよ。
 まあいいや。記事の話である。記事に依れば(全国大学生協連合会の調査を根拠にしているので、まあ信用できるのだろう)、「読書をする」という大学生の1日の読書量は51分程度。読書時間を「120分以上」と答えた学生は5.3%だった。彼等が社会に出たとき、まったく本を読まない半分の学生を、5%の集団がけん引していくのだろう。
 すでに日記に書いていると思うが、数学者の藤原正彦さんは「賢者の風格は読書にあり」と言っている。読書が万能だとは言わないが、少なくとも1冊も読まない者より、つとめて読書をしている人のほうが話すことはおもしろい。風格とは言えないまでも、利口そうには見える。

 書誌学者の谷沢永一さんは自著の『人間通』(新潮新書)の巻末に100冊の本をリストアップし、短いコメントが付けている。その中から2冊とコメントを紹介する。

司馬遼太郎坂の上の雲』(文春文庫)
 国家や人間を判断するのに、悪玉か善玉かという両極端でしかとらえられぬ硬直から、歴史の真実は見えてこない。既に起った事柄はそれ自体が善でも悪でもない。人間社会が成長してきた止むを得ぬ段階であった。

森銑三柴田宵曲『書物』(白揚社
 人生必読の書などという謳い文句は書肆の広告に任せておいて自分の眼で選択する必要がある。書物に盛り得る内容には限界がある。書物の中に一切を求めようとするのは書物が人間の手に成ったことを忘れた妄信である。