昨日、話題にした「芸術新潮」は棚にあった。たまたま特集の「仁義なき聖書ものがたり」がおもしろそうだったので購入した。ところが運よくその号に坂本葵さんの「生きることの手触りとしての着物」という文章が載っていた。これは坂本さんが東大の裏手にある弥生美術館
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/
の「谷崎潤一郎文学の着物を見る」展を訪なった時のことを中心に書かれている。えっ、弥生美術館でそんな企画展をやっていたのか。期間中の5月に不忍池をはさんで反対側にいたのにぃ。残念なことをした。
三河の田舎に住んでるってえとね、なかなか上京ができないんでさぁ。徳川家康はなんで岡崎を首都にしてくれなかったのだろう。隅田川(矢作川)もあるし、山の手(豊田・岡崎)もあるし、葛飾柴又(碧海郡)だってある。
話が逸れた。「着物」のことである。ワシャは着物が好きなのじゃ。まぁ和物はことごとく好きなのだが、とくに着物をお召しになった女性はいいですなぁ。読書の仲間と定期的に芸者衆を揚げて、飲めや唄えの大騒ぎ。これがまた風情があっていい。
坂本さんも展覧会で着物を召した女性客を見てこう言う。
《仲のよい数人組の女性客など細雪の姉妹と見まがうばかりで、ここへ来る前は鏡の前であれこれ衣裳を取り換えつつ「帯がキュウキュウ鳴るねん」と笑い転げていたのでは、と思われるほどだった。》
いいっスねぇ。『細雪』をもう一回読もうっと!
坂本さんの新書である。裏表紙にご自身の写真とプロフィールがある。その写真が着物であった。おそらく普段から着物を着ているのではないか。作家の奥山景布子さんも日常的に着物を愛用している。いいねぇそういう人が増えるというのは。
遠い昔、会社のクリスマスパーティに和服で行ったことがある。その時に珍しがられてベストドレッサー賞をもらったことがあるが、それからずいぶん和服に袖を通していない。最近、腹もへっこんでしまって、タオルでも詰めないと着物は似合わねえだろうなぁ。
【おまけ】
《やくみつる氏、ポケモンGO利用者を「心の底から侮蔑します」》
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160725-00000532-sanspo-ent
やくさんは「現実にあふれている面白いことに興味を持つべき」と主張する。まさに言われるとおりで、公園になら虫だって花だって樹木だってある。観察すべき人だってごろごろいるだろう。そんなにおもしろいものがあふれている世界で、なんで小さな画面の中で人の作った画像に狂っているのかワシャにも解らない。
ASEAN外相声明が「南支那海判決」に触れることが出来なかった。支那中国から金をもらっているカンボジア、ラオスなど内陸国が反対を表明したからである。南支那海の支那の横暴になにも言えないのならASEANは分裂したほうがいい。海洋ASEANと支那ASEANとにである。そのほうが利害関係もすっきりするだろう。結論が出せない団体などいらない。