稲葉山城

 一昨日の夕刻、ワシャは長良川の河原から稲葉山城を見上げていた。550年前にも、同様に山上の城を仰ぐ男が河畔に立っている。木下藤吉郎であった。ワシャとはえらい違いだが、藤吉郎を気取っていたんですな(笑)。
 彼は主君信長から、稲葉山城を「一夜で攻め落とせ」と命じられた。これは現実にその山城の下に立ってみると、難事業であることがわかる。東、南、西の山ひだも険しい。それでも北壁に比べればまだ緩やかである。だから攻め手はその方向から押し寄せるわけだが、その方向にはぎっしりと砦、柵、堀、逆茂木などで防御がされており、織田軍をしていまだ陥せずにいる。
 稲葉山城、現在は岐阜城と呼ばれているのだが、その鉄壁さを見ていただこう。
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E5%B2%90%E9%98%9C%E5%9F%8E
 20コマ以降が解りやすいが、岐阜市の東にある長良川から屏風に立ち上がる山並の突端にある。藤吉郎の当時はこのような天守閣は存在しなかったので、山の砦のようなものが頂上にあった。そしてその周辺をハリネズミのように武装して敵の襲来に備えている。難攻不落の山城と言っていい。
 藤吉郎、その城をつぶさに見聞した。東、南、西の守備は厳しい。大軍をもってしても一夜での攻略は無理である。そこで北に目を付けた。長良川から切り立つ石壁である。もちろん守備側の斎藤氏も鵜ですら渡らぬ切り立った崖に防御は必要ないと考える。当たり前だ。防兵を置くにしても、その足場さえままならない。そもそも防御を考えなくてもいい天然の要害だったのだ。
 日が暮れてきた。稲葉山城はライトアップされ山頂に閣が浮かび上がっている。戦国中期の城は篝火に浮かび上がっていたのだろう。
 さて、この山城をどう攻める。木下藤吉郎ワルシャワ三河守は思案するのだった。(つづく)

 議院議員選挙が終わって書きたいことは山ほどあれどそれはおいおい。