いいコラムは消えていく

 またおもしろいコラムがなくなった。『SPA!』の巻頭コラムである。勝谷誠彦さんが書いていた。かつて『エコノミスト』には日垣隆さんが書いておられて、そのころは、各誌の巻頭言を読むのが楽しみだった。それがどんどんなくなっていく。しかし、昨日、予言したどうでもいいコラムのようなものは根強く残っているのだが……。
 簡単なことを難しく、勉強や調査していないことをぐだぐだと垂れ流す。そんなのが増えて、いいコラムが消えていく。そんなものか。
 名コラムへの追悼の意味も込めて、迷言コラムを読み解きたい。本文は今日もこちらから読むことができるが、時間の無駄なのですっとばしていただければと思う。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160113-00000009-sasahi-pol
 そのコラムのようなものであるが、週刊誌半面、イラストやタイトルが入るので実質の文字数は1200字である。25の文から構成されている。その内の「だ」で終わる文章が6つ、全体の文章数に占める数を「だ率」と呼んでいるが、これが多いと濁点の断定的な語尾が乱発されて文章が汚くなる。約4回に1回は「だ」が出てくる見当だから、やや文章としては見苦しい。
 内容に入る。12月28日の「慰安婦についての日韓合意」の話である。北原氏は言う。
《1991年に初めて「慰安婦」だった女性が声をあげてから、四半世紀。この間、日本政府、そして日本の司法は彼女たちの訴えに耳を貸してこなかった。そのことが問題だ、と私はそれまで思っていたけれど、》
 朝日新聞の捏造記事に引っ掛かけられるようにして、何人かのお婆さんが声を出した。でも、その証言には、創作が多かったり、吉田清治朝日新聞の捏造した話からすら食い違う内容を言っている人もいた。とくに日本軍関与の部分は根拠のない話ばかりで、まともな日本政府や司法が相手にできる話ではなかった。まともではない首相なんかは(トン)ちゃんと耳を貸していたようだけれど(苦笑)。
 だから、「そのことが問題だ」と思っていた北原氏は、ありていに言えば間違っている。しかし、北原氏は「そのことが問題だ……と思っていたけれど」と、微妙に矛先を転じていく。
《「慰安婦」問題を解決させないのは、政府や司法だけではない。》
 おっと、対象を拡大してきましたぞ。歌舞伎見巧者を自慢する岩下尚史氏と同じ手法だな。下手なコラムニストはみんなすり替えが巧い。おっと関係ない話になった。話をもどす。
《政府や司法だけではない。》と前置きをして、こう続ける。《私たちの社会における「男の性欲」に対する、ぼんやりと、ふんわりと、とてつもなくゆるく甘い、だけれど非常に強固で女を黙らせ、いやがおうでも従わせるような力を持つ「信仰」のようなものが、「慰安婦」問題に対する理解を、全く深めてこなかったのではないか。》
 少し長いこの文が迷文なのである。ワシャには解らない。いやいやご本人的にはかなり気合を入れた文章なんでしょうね。得意げな北原氏の様子が目に浮かぶような文である。
「ぼんやりと」
「ふんわりと」
「とてつもなくゆるく甘い」
「だけれど非常に強固で女を黙らせ」
「いやがおうでも従わせるような力を持つ」
がかかるワードは「信仰」ですよね。わざわざ北原氏の文中でも「」がつけてあることからも、そういうことである。
 では、北原氏の言う「信仰」とはなにか。それはこの文の後に続く《男の性欲は国に管理されてでも、女を搾取してでも守られるべき権利であり、優先されるべき「自然」であると、そんなふうに考えるような人を、この社会は育て続けてきたのではないか。》で説明されている。
 ここも文章が解り難い。細かく区切っていく。
《男の性欲は国に管理されてでも、女を搾取してでも守られるべき権利であり、》
 これは「国に管理されてでも、女を搾取してでも」→「男の性欲は守られるべき権利」ということで、一つのフレーズをぶった切って前後に分けるから読みにくい。もっと簡単に「男の性欲は」のあとに読点を打つだけで読みやすくなる。ホントにこの人、真面目に書いているのであろうか(笑)。
 続く文にも「何に」を入れたほうがいい。
《優先されるべき「自然」であると、そんなふうに考えるような人を、この社会は育て続けてきたのではないか。》
 突然、「優先されるべき……」とくるから解らない。「女性の人権に」を「優先されるべき……」の前につけるだけでずいぶん理解しやすくなる。それに「自然」というのが小難しい。簡単に「こと」とでも書いておけばいいのに。
 ここまで読み解いてきて、ようやく北原氏の言う「信仰」のかたちが見えてくる。「男の性欲を女性の人権に優先させて考えること」、これを「信仰」と言っている。あ〜面倒くさい文章だ。あきたので、後段はまた次の機会に。