祭の朝

 仙台の七夕が華やかだ。期間中200万人が訪れるという。
 三河にも七夕がある。今、JR安城駅前で開催している。こちらは少し規模が小さいが、それでも金、土、日で100万を超えるくらいの人が近隣からやって来る。今年は岡崎の花火と競合しなかったので、かなり増えるのではないか。
 日が沈む頃になると、メインの通りは立錐の余地もないくらいに賑わう。キラキラ輝く笹飾りが降り、夜店からはこもごもの食材のいい匂いが漂ってくる。その状況も好きなんですよ。
 もともと生まれが駅前商店街の通りのど真ん中だったんで、七夕まつりは「オギャア」と産声をあげて以来の付き合いだ。ワシャの家は、メイン通りに面して、広い(広くもないか)土間があった。それに祖母が面倒見のいい人だったので、祭礼ともなれば、香具師テキヤが一服するのによく立ち寄ったものである。物心つくころには、車寅次郎のようなテキヤのオジサンに「坊ちゃん、ワッチらのような者になっちゃぁいけないから、しっかり勉強をするんだよ」とか言われながら綿飴をもらったものである。その忠告は見事に守れなかった(笑)。
 
 今日、年中行事の七夕まつりにあわせて、地元の料理屋で宴を開く。その料理屋の若女将と事前の電話のやりとり。
ワルシャワ「もしもしワルシャワです」
若女将「毎度どうも」
ワ「七夕の宴席の話だけど、人数がまた増えたんだわ」
若「ありがとうございます」
ワ「うん、それでね、芸者2人では心もとないので、お茶を挽いている子いないかなぁ?」
若「わかりました。おそらく大丈夫です。ちょっと置屋(おきや)に確認してみますね」
ワ「よろしく〜」

 何気ない会話だが、これがうれしい。「お茶を挽いている」で通じる世界が、まだあるのがワクワクする。「おちゃっぴい」の語源である。ううむ……「おちゃっぴい」も、もう言わないか。
要するにワシャは若女将に「暇で空いている芸妓はいないか?」ということを聞いた。若女将の応答の中にある「置屋」っていうのも風情がある。

 ワシャは七夕まつりの一帯を、早朝に歩くのが好きだ。もちろんのことながら、喧騒はない。ただ東から射す陽光に吹流しがキラキラと輝いているのみである。露店もほとんどが幕で覆われている。午前7時ではさすがのテキヤ衆もまだ動き出していないのだろう。昨日の朝は、チョコレートバナナ売りのオジサンが若い衆に作り方の指導をしていたくらいである。
 それにしても祭の会場がきれいだった。ゴミひとつ落ちていない。関係者が祭の終了後にゴミ拾いをしていることは明白である。ソウルの明洞で早朝散歩をしたけれど、とてもじゃないが、とてもじゃなかった。
 誰もいない静かな「早朝七夕まつり」これもなかなかいいものですぞ。