成長から成熟へ

 昨晩、家にもどって、さっそく天野祐吉さんの新書を開いた。のっけから天野さんは「世の中のほとんどすべてが歪んでいるように思える」と書き、その事例をつらつらと並べていく。「マスク」「原発」「テレビの画面」「福袋」「リニア中央新幹線」の歪みを、やさしい語り口で指弾する。
 高度経済成長が始まる直前に「博報堂」に入社した天野さんは、その後、独立して雑誌『広告批評』を立ち上げる。まさに戦後から21世紀の現在にいたるまでの、日本を広告という媒体を通じて見続けてこられた。
 読んでいておもしろかったところをいくつかご紹介したい。
 電気事業連合会の広告で、タバコの吸殻をゴミ箱に捨てようとしている写真が載ったものがあった。そこにつけられたコピーが《「使用済み」の物は大抵の場合捨てられる運命にありますが 原子力燃料の場合は「使用済み」の後も働き盛りです。》というもの。
 しかし、タバコのフィルターくらいの核燃料を燃やした結果、およそ5万人の致死量に当たる核廃棄物が出る。天野さんはこんなたとえを引いている。
「ダイエットはしてる、たしかに小食ではあるけれど、そのかわり非常に汚いウンチを大量に出す」
 そして大ウンチをする原発造(はらはつぞう)さんのマンションにはトイレがないのである。
 電気事業連合会の広告が、そのあたりに触れていないのはひどいやり方で、そういったことに政府が電力会社と一緒になって広告するのど以ての外だといっておられる。
 また、グローバル化についても疑義を呈しておられた。もっと人間の身の丈に合ったもので、とことん単純化されたテクノロジーと、初期資本と、変凡な人たちの手で、生命にあふれた生産活動が出来ないだろうかと。
 そんな中で、本を紹介しておられる。日本総研の藻谷浩介さんが上梓された『里山資本主義』(角川oneテーマ21)である。
「この有限な惑星でかぎりなき成長がいつまでもつづくと信じているのは、単なる馬鹿とエセエコノミストだけだ」
 天野さんも藻谷さんもそう言われる。支那中国などに足しげく通って共産党に媚を売ってばかりいる経済界は「単なる馬鹿」なんでしょうね。
 天野さんは批判ばかりではない。きちんと成熟社会を受け止める手法についても言及しておられる。
「シェアからシェアへ」
「多様性、まさにダイバーシティと包摂性の出会い」
 このあたりは難しいので本書をよんでくだされ。
 なにしろ、今後の日本のあり方を示す良書である。次の読書会の課題図書にしようっと。