現在の科挙制度

 現在の支那中国の権力闘争の状況を簡潔に伝えていておもしろい。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33598
 今回、「団派」(中国共産主義青年団)と「太子党」(共産党実力者の子弟、紅い貴族)との権力争いは熾烈を極めた。「太子党」のホープ薄熙来が失脚したのもその一連の流れの中にあることが読み取れる。また、この「団派」を生みだす制度こそが、支那中国に脈々と受け継がれてきた「科挙制度」に他ならない。
「地方官衙の高等官はすべて中央政府から任命派遣することに改めた。このためには中央政府が常に多量の官吏予備軍を握っていなければならないが、この官吏有資格者を製造するために科挙制度を樹立した」
 上記の文章は、宮崎市定科挙』(中公新書)から引いた。制度樹立当時(587年)の隋の文帝の話である。しかし1400年の時を経て、現在の支那中国にピタリと符合するからおもしろい。
 文帝は、貴族たちの家柄自慢や地方政府の壟断、事業に際しての収賄、不正による蓄財などに辟易としていた。この貴族たちに対抗するために導入したのが「科挙制度」である。現在の支那中国も「共産党中央政治局常務委員」という天子を「太子党」という貴族たちと、「団派」という科挙合格者が支えている図式だ。その形態は、随や唐、近いところでは清帝国とまったく同じである。「人民」の「共和」する「国」ではない。「共産党一党独裁」の「帝国」なのである。なんだか民主的なことをやっているような「全国人民代表会議」など、世界に向けて発信しているアリバイ工作でしかない。よく見れば、紫禁城で皇帝にひれ伏す百官たちのようだ。
 彼の国と交渉する時は、近代国家と交渉するつもりではまったく埒があかない。近代兵器を重装備した古代帝国に向き合っているのだという覚悟が必要であろう。