桶狭間から関ケ原へ

 なななんと……、今日、9月15日は関ヶ原の合戦の日でござった。厳密に言えば、旧暦なので、太陽暦でいえば、10月21日あたり。だからもう少し寒い朝だったろう。チェリオさん、来年は10月に関ヶ原の合戦でいきますか。

 さて、ワルシャワの仕事のピークが近づいている。今日が、ある意味で関ケ原になるのかもしれない。社外役員から、決算に関する監査があり、矢のような質問がバンバカバンバカ飛んでくる。こちら側には質問権がないので、防戦一方のバトルになる。ワシャはどちらかというと攻撃型兵器なので、こういった守るだけの闘いは好かぬ。
 まぁそんなことを言っていても仕様がないので、頑張ってきますがね……。

 手元に『図説 戦国合戦図屏風』(学研)がある。これを見ると、「関ケ原合戦図屏風」は何種類もあり、戦の描き方も多様であることがわかる。通常の関ケ原図は南から戦場を俯瞰している。しかし、岐阜歴史博物館にある屏風は北の方向から関ヶ原の戦場を俯瞰しているのでおもしろい。
 関ヶ原のあちこちに布陣している武将の顔ぶれを見て、この中で桶狭間の戦いを知っている侍がどれほどいるだろうと思ってしまった。
(屏風をにらめっこ中)
 おおお、この大屏風の中で、あの40年前の東尾張丘陵の合戦を体験したものは、おそらく2人、徳川家康と本田忠勝しか見当たらない。ああ、朝から余分なことをしていてすっかり時間が押している。
 それでは、そろそろ出勤します。