東北地方への支援のあり方について その1

 愛知県の動きがにぶい。
中京都を造ろう」「楽市楽座を始めよう」てな、スローガンを声高に叫ぶことはお得意でも、こういった真に政治が必要な事案については、実に腰が重い。三重県が18日に早々と(ワシャ的にはちっとも早いとは思わないが)、宮城県から要請のあったおむつやタオルなどの支援品リストを公表し、県民からの受け入れを始めている。
 三重県は支援物資をまとめ、先遣隊とともに22日には宮城県に送り出している。岐阜市も同日、災害時相互応援協定を結んでいる福島県郡山市にむけて支援物資を発送した。その22日に、愛知県はようやく支援物資の受け入れを開始したんだとさ。遅い!
 いつもは尻の軽い大村チンさん、ずいぶん熟慮したんだね(嘲)。ようやく重い腰を上げた大村知事の呼びかけに、河村名古屋市長も22日から受け入れを開始した。お二人ともいつもの勢いはどこへいってしまったんだろう。政局好きのお二人さんには、災害支援などという地味な業務は不向きでしょうね。

 阿呆はどうでもいい。被災地支援のことである。
 そもそも、被災地支援というものは、きめ細かく、迅速に、ピンポイントで行なわなければならない。そうしないと必要のないものがどんどん入ってきて、それでなくともスペースがないところに無駄な支援物資があふれかえってしまう。このために本当に必要なものを受け入れるスペースを侵食していくのである。
 新潟中越地震の際、川口町というもっとも被害の大きかった自治体にボランティアで入ったことがあるが、不要なものが、大きな体育館にあふれかえっていたことを思い出す。記憶は定かではないが、このときも知事会だかの、大きな組織が上のほうで主導していたような記憶がある。結局、そういう高いところでの主導は大雑把で、その不要物品を移動管理するだけで何十人ものボランティアが連日動員されていた。「ああ、無駄な労力が浪費されていく」と思ったものである。
 知事会などという化け物のように大きな単位は、災害時に出てくる必要はない。知事たちが、被災地を睨んでいたってらちは明かない。そんな単位のことは政府がやればいいのだ。
 知事会にすべきことがあるとするなら、それは被災地の県ごとに担当の県を割り当て、その下の被災自治体を細かく区分して、その区分ごとに支援自治体を割り振り、被災自治体1対支援自治体1、あるいは1対複数でもいい。担当を決めて支援をするシステムを構築すればいいのだ。
(下に続く)