閑話休題で「お能」の話 その1

 一昨日、友だちと名古屋能楽堂お能を観に行った。
 曲目は「忠度(ただのり)」と「巻絹(まきぎぬ)」、狂言は「鶯(うぐいす)」である。今回はきっちりと予習をして臨んだので、お能の内容がよく理解できた。
 まず「忠度」である。これはいわゆる「修羅物」と呼ばれる能で、おおむねが平家物語に題材を得ている。
「忠度」は平忠度のことで、清盛の弟にあたる武士公家であった。和歌を詠み、藤原定家の父の俊成(しゅんぜい)とも交際がある。時代が平安なら名歌人としての人生をつつがなく歩んだのだろうが、乱世に巻き込まれてしまった。世にいう源平の合戦が名歌人の人生を変えたのである。
 後白河法皇の暗躍で、木曽義仲の軍勢が都に乱入し、平家一門は都から逃げ出す。その後、摂津一ノ谷で防衛線を張って源氏との対決を目論むのだが、猛将源義経の奇襲により敗北を喫する。この一ノ谷の合戦で忠度は討たれて死ぬ。
 舞台は俊成が没した後の話なので、1204年以降ということになるだろう。一ノ谷の合戦が1184年だから、20年ほどの歳月が流れているわけだ。しかし、忠度の魂魄はこの世にとどめられたまま、この地を彷徨っている。それは千載和歌集に載った忠度の和歌が朝敵ゆえに「詠み人知らず」とされたことが、未練となって成仏できなかったからである。
 忠度は俊成の知友の僧侶の枕辺に立って、自身の和歌に詠み人の名をつけてくれと頼むのだった。その段で、目付柱の脇に坐し、忠度は朗々と、一ノ谷の合戦を語る。武運拙く、源氏の将に討ち取られ、首を挙げられたことを言い連ねるのだが、その時、中将の面が悲しみを湛えているではないか。そうかそれほど口惜しかったか……。
 その後、忠度は立ち上がり、本来の在所(冥途)に戻る前の最後の舞を披露する。その時は、僧侶に己の意を汲んでもらったことに満足したのだろう。晴れ晴れとしたいい表情で舞っている。同じ面がこれほどまでに表情を変えるとは、少し驚きだった。
(下に続く)