昨日の日記に葦津珍彦の名前を出して(あじづうずひこ)とふり仮名をふってしまった。もちろん(あしづうずひこ)である。ごめんちゃい。
3月11日に「暴走万葉仮名」について書いた。
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=427365&log=20100311
評論家の呉智英さんは、「当て字や漢字の意味をわからずに使い、そのために名前に込められた意図も伝わってこない。難読名、難解名の風潮に実は、日本人の知的レベルの低下が表れている」と指摘している。
「華海(かの)」「海莉(えり)」「腥羅(せいら)」「雄斗(ゆうと)」などはその典型といっていいだろうね。「海苔(のり)」の当て字を使った「華海」、「海老(えび)」の当て字を使った「海莉」など普通では読めない。
呉さんは、森鷗外の息子の「於菟(おと)」の例を上げる。なーんだ、明治の文豪だって子供に変な名前をつけているじゃないか……と笑ってはいけない。鷗外はドイツに留学していた。だから、子供にドイツ風の「オットー」と名付けた、というような単純なものではない。
呉さん曰く。
《於菟は虎という意味で、「春秋」など漢籍を読んでいれば出てきます。この人は寅年生まれであり、それに因み、ドイツ風のオットーに通じさせています。暴走万葉仮名どころか、正統的な教養に裏打ちされた命名なのです。》
なるほど。
でも、冒頭に訂正をした「葦津珍彦」なんか、どう読んだって「あしづちんひこ」だよね。神道家、保守系思想家だって難解で変てこな名前をつけているじゃないか。
これが甘かった。なんと「珍(うず)」の出典は、「日本書紀」にあったのだ。
《伊奘諾尊曰、吾欲生御[宀/禹]之珍子》(イザナギノミコトが言われるには、私は天下をおさめるべき珍〈うず〉の子を生もうと欲する)に出てくる。そして「珍」は「すぐれた」という意味を持っている。神道家としてこれほどふさわしい名前もあるまい。
名前というものは実に奥が深いものなのである。「海苔弁当」の「海(の)」や「海老フライ定食」の「海(え)」など使っていいものではないのだ。
ワシャも、今度、子供ができたら真剣に考えて命名することにしよう。めでたしめでたし。
※「日本書紀」の漢文で[宀/禹]は字体がありませんでした。うかんむりの下に禹という字です。