公と私

 司馬遼太郎が『風塵抄』(中央公論社)の中で中国について触れている。
《各軍の軍長たちの意識は、遠い過去からの伝統をひきずっていて、自分の管轄下の軍を“私”として見る感覚がつよい。だからこそ、一部の軍長が、その軍の要職に息子や娘婿、甥などをつけて、軍を家族の私物にしている。まことに近代的“公”からみれば信じがたい現象といっていい。》
 司馬さんはこの現象は軍のみではなく高級幹部のあいだにもはびこっていると断言しこう続けている。
《過去ではそれでもよかったが、現代では“公”という最高の価値基準が、世界と同様、中国においても普遍化していて、そのように、地球や人類規模での“公”をかかげるひとびとが天安門広場にあつまったのである。》
 そして、司馬さんは、最後に痛撃を加える。
《そのような若者たちの“公”の感覚からみれば、中国の官・軍の一部は、存在そのものが腐肉以下といえる。》
「腐肉以下」という表現が凄い。天安門事件に対する司馬さんの怒りが伝わってくるでしょ。
 中国政府は、中国の人権活動家の胡佳氏
http://www.epochtimes.jp/jp/2008/01/html/d88401.html
を逮捕した。人権無視の史上最悪のオリンピックをつつがなく開催するために。
 中国の“公”のために戦う胡佳氏は2008年に、サハロフ賞を受賞している。
http://friends.excite.co.jp/News/china/20081025/Recordchina_20081025007.html
 今朝の新聞にも中国人権活動家の動向が載っていた。中国政府に入国を拒まれ、成田空港で3ヵ月寝泊まりしていた馮正虎(ひょうせいこ)さんがようやく上海の自宅に戻ることができたそうだ。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100213ddm012040041000c.html
 でも、自宅前の数箇所に監視カメラが設置され、当局による行動監視が始まった。早い時期に馮さん、身柄を拘束されるのではないか。う〜む、心配だ。一党独裁といういびつな権力は“公”を主張する人々を、私的に制裁している。こんな国で平和の祭典であるオリンピックをするべきではなかったし、世界のお祭りである万国博覧会をすべきではない。
 話が大きくなってしまった。最後にちっぽけな“公”と“私”の話を一つ。
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/02/11/11.html
 どーでもいいことなんだが、この未熟な若者の中に“公”と“私”という意識が育っていなかっただけのことで大騒ぎするほどのことじゃない。こんな軽薄な若者は掃いて捨てるほどいる。もちろん大人にもいる。