刈り上げ大臣の暴走 その3

(上から続く)
 どこかのバカな報道番組で、この問題を取り上げてこんなことを言っていた。
「日本も明治までは夫婦同姓を強制するということはなかった。もっと姓に対して大らかだった」
 バカなことを言うんじゃない。明治以前に「姓」というものがどれほど重要なものであったか。身分の低い者は姓があったって名乗ることさえできなかった。
福島も『結婚と家族』の中で《江戸時代の家のモデルとされる武家の慣習も「別姓」であったのである。》と言っているが、それは逆に女性が差別されていたことの証しであり根は先ほど触れた儒教思想があるのだ。
 バカ報道番組は明治以前の夫婦別姓の例として室町幕府八代将軍の妻の「日野富子」を挙げていた。「日野富子は結婚しても日野富子だったじゃないか」と言うのである。
 室町の花の御所で日野富子が「日野富子さん」と呼ばれていたとでも思っているのだろうか。これは断言できるが「日野富子様」とか「日野様」などと呼ばれることはありえない。必ず「御台所様」ですぞ。どうでもいいんだけどね。

 千葉にしろ福島にしろ、男女の役割分担そのものを性差別と捻じ曲げて糾弾してきたという経歴を持っている。その代表例が「夫婦別姓問題」なのである。彼女らは必ずこの法案を出してくる。そして与党という立場を使って成立させようとするだろう。こんなものが法制化されたとしたら日本の未来に大きな禍根を残すことになる。
 そもそも一つの家庭で父親と子どもが千葉姓で妻だけが福島姓では一体感がなかろう。あるいは逆に父親だけが千葉さんで妻と子どもが福島さん、福島くんでは父親の存在がとても希薄だ。これで家庭内のシツケができるのだろうか。

 女性差別を撤廃したいというフェミニスト的考えはわかるけれども(全然、わからないけど)、日本では十分に女性の地位が上がってきていると思いますぞ。日本の良質な文化を脅かすようなことばかりしていないで、もっと世界に目を向けろよ。やるべきことがたくさんあるだろう。まず、中東やアフリカに飛んでそこでこそ女性差別を声高に叫んでくれ。命の保障はしないけど。