司馬さんの迷惑

 司馬遼太郎は、憂国の念を抱きながら彼岸へと旅立っていった。あれから13年も経ったのか……司馬さんが今の日本の醜態を見て、果たしてどんな感想を持つのだろう。
 昭和44年というから大阪万博の前年である。司馬さんは読売新聞にこんなことを書いている。
《われわれはいま、体制・反体制というようなあやしげな言葉の魔術にまどうことなく、もう一度国家というものを考えなおし、この文明の段階にもっとも適合した国家というものをわれわれの手ですこしずつ作りなおしにとりかかってみる必要があるのではないか。そういう覚悟をもたない政治家は容赦会釈なしにひきおろしてしまう必要があるのではないか。》
 40年という時を経てもなお、司馬さんの言葉は色褪せない。もう一度国家というものを考え直さなければならないこの時期にあって、永田町には「覚悟をもたない政治家」ばかりになってしまった。「ぼくちん、政権を投げ出しちゃうもんね」という首相が二代続いて、こんどは阿呆がなってしまった。しかし、国民のほうにも覚悟がないから、そういう政治家どもを引きずり下ろすこともできない。
 麻生首相は、施政方針演説の中で「この国のかたち」という言葉を2度使っている。もちろんそれは司馬さんの大著を意識してのことだが、あやしげな言葉を発する麻生さんに使われちゃぁ司馬さんも迷惑だ。