今朝の新聞にこんな記事があった。
《北京一の繁華街で建設中だったビルが突如完成?実は内部は骨組みだけ出で、北京五輪の大気汚染対策で工事がストップ。それでは見た目が悪いと、四方に壁紙を張りつけ取り繕った。》
この国の底流には「羊頭狗肉」という思想が厳然として存在する。以前にもあったでしょ。山が禿げ山で見てくれが悪いから緑化しましょうということになって、その山を緑色のペンキで塗っちまったというのが。ごまかせるものはごまかせ、騙せるものは騙せということなんでしょうね。
今回のオリンピックでも、こってりと厚化粧を施しているが、ところどころでファンデーションが剥げ落ちて地金の錆がのぞいている。あわてて塗りこめてはいるが、とても追いつかない。
五輪はなんとか凌ぎきるのだろうが、上海万博までこの国は国体を保つことができるのだろうか。
司馬遼太郎は「国家には適正なサイズがある」と言う。それはフランスぐらいの大きさがいいと言っている。フランスは人口6000万人、面積は日本の1.4倍である。中国でいえば四川省がちょうどこのくらいのサイズだろう。
中国の悲劇は、フランスを10も20も集めて、それを軍隊や警察という縄でぎゅうぎゅうと縛り上げて一つにしようとしているところにある。破格な巨大さは為政者にとってもそこに住む人々にとっても決して幸福をもたらさないと思うのだが、どうだろうか。