外国人よどこへゆく(その1)

 中央公論6月号に「多国籍社会は油断できない?」という特集があるらしい。今日発売だから早速買って読もうと思っている。
 5月9日の朝日新聞に「外国人 中部地方に集中」という記事があった。そこには「日本の外国人集住都市一覧」があって、豊橋、豊田、岡崎などの三河の都市が上位に並んでいる。豊橋18,577人、豊田14,660人、岡崎10,706人といずれも1万人を越す大きな集団となっている。もちろんワシャの住む西三河だって同じ状況だ。ブラジル、ペルー、中国、フィリピンと実に国際的である。
 ワシャの町にもリトルサンパウロみたいな地域が形成されつつある。前回のワールドカップでは連日連夜大騒ぎが繰り返され、一部のブラジル人は幹線道路まであふれて騒いでいた。まもなく始まるワールドカップはブラジル戦が組まれている。熱狂的な国民性を持っている国柄だから万が一日本が勝ったとき(勝たないけど)が恐ろしい。暴動が起きるのではないかと思っている。
 ワシャは外国の人が嫌いではない。実際に何人かの知人もいる。ただしその外国の人を許容する基準として、日本語を話そうと努力しているかという基準を持っている。
 例えば朝青龍白鵬琴欧州など外人力士である。彼らは強すぎて日本の力士が不甲斐ないけれども、彼らは日本の相撲界という伝統の世界に身を投じて必死に日本を学ぼうと努力している。だから彼らは一様に日本語を話す。また金美齢、アグネスチャン、デーブ・スペクターなどの文化人でもそうだよね。日本に居住し、日本で生活をしていこうと考えている以上、日本文化を理解するために日本語を話すということは必須といっていい。
 逆を考えてみればいい。ワシャらがアメリカで長く居住しようと考えた場合、英語をマスターしようと考えるのが当然ではないか。アメリカへ行ってずっと日本語で押し通そうと思うだろうか。しないよね。要するにその国の文化の根幹である言語を知らずして、その国の正式なメンバーにはなれないということなのである。
 先日、ある役場の窓口(たぶん公営住宅の受付窓口だった)で大声をあげている中年の女性がいた。日本語ではなかったので何を言っているのかさっぱりわからなかったが通訳の職員が必死になだめているのが印象的だった。もう少し静かに話せよ、余所者。
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