吉野家どこへゆく

 食品安全委員会で、米国産牛肉の安全性を審議している「プリオン専門調査会」の委員6人が、調査会の不甲斐なさに愛想を尽かし辞任したのは3月31日で、そのことがわかったのは4月4日だった。
 この状況下で吉野家の社長は「(輸入再停止となった問題は)技術的に解決できる。できなければ(政府の)怠慢だ」と、早期輸入再開を強く求めたんだそうだ。このオジサン、まったく変わっていないな。相変わらず食品の安全よりも儲け第一主義だな。そして企業自らがアメリカに調査団を派遣して、食の安全を確認しようとしている「牛丼のすき家」とはえらい違いでっせ。
《現段階で、少しでも問題があるなら消費者の安全を考えた場合に「使わない」ことが食品提供企業の使命である。》と「すき家」は言っている。12月12日に米国産牛肉の輸入再開が決定されたときも、吉野家は「国が安全って言っているから牛丼を再開するからね」とほざいている。その直後に危険部位のくっついた牛肉が水際で発見されたからよかったものの、でなければ今頃、吉野家では背骨入りの牛丼を食わされているところだったわい。なんでもかんでも国、政府の責任に転化しようとする企業体質ははっきり言って怖い。そして企業サイドに食の安全を極めるという意識がない以上、その会社の食品は食えない。
 司馬遼太郎は「人間の行動を決定する要素として、欲望、理性、気概の三つがある。」と言っている。続けて、
「水がのみたいとおもえば、のむ。これが欲望の行動である。しかし、水に毒が入っているとわかれば、のまない。これが理性の行動である。だが、毒が入っていても、人間としての誇りを失わないために、飲むこともありうる。これが気概の行動である。」と言う。
 ワルシャワはこう言いたい。
吉野家の牛丼が食いたいとおもえば、食う。これが欲望の行動である。しかし、牛丼に危険部位が混入している危険性があれば、食わない。これが理性の行動である。だが、危険部位が入っていても、自殺したいと思えば食うこともありうる。これが気ち概の行動である。」
 変なものを食わされたくないので、食の安全意識の希薄な企業の食品は絶対に口にしないと決めた。