『シナリオ1月号』に「男たちの大和」の脚本が掲載されていることを知り、わざわざシナリオ作家協会に振りこみをして月刊誌を取り寄せた。それが昨日届いたのでわくわくしながら読んだのだが、ワシャの期待していた映画のシナリオではなかった。
「なんでじゃ!」と思って、目次をみると《私が『男たちの大和 YAMATO』の脚本家を降りた理由》という脚本家による特別寄稿があったのじゃ。おいおい、なんだかきな臭くなってきたぞ。掲載シナリオの冒頭には《公開映画「男たちの大和 YAMATO」(脚本・監督=佐藤純彌)の内容は、掲載シナリオと酷似していますが、根本的にはことなります。》とある。そんなぁ……
ワシャは映画のシナリオを読みたかったんですぞ。《酷似していますが》と書いてある割りに酷似しておらず別モノだった。それを掲載されてもねェ。
たまたま本屋でみつけた『シナリオ2月号』にバックナンバーの案内があった。そこには『1月号』の小さな写真とその下に《06年1月号「男たちの大和」(野上龍雄・井上淳一版)とは書いてあるけれども、普通は上映されている映画のシナリオだと思うんじゃないの?
別シナリオを掲載するに至った事情は「降りた理由」の中で縷々述べられてはいるが、それは単に制作サイドと脚本家の問題であって、お金を払って映画を鑑賞した人、お金を払ってシナリオ誌を買った人とは関係ない話だ。裏表紙一面には「男たちの大和 YAMATO」の宣伝が載っているじゃないか、ちゃっかり広告費は貰っておいてシナリオは完成作品とは似ても似つかぬ代物(事情はどうあれ)を掲載するというのは羊頭狗肉ではないのか。
(「男たちの大和(続報)その2」に続く)