地震は来る その1

 ワシャ(私)は地震と台風を趣味にしている。地震仲間から土曜日に名工大の谷口先生(地震防災学)の講演があるという話を聞きつけ、早速、講話を聴きにうかがった。
 講演は、1945年の三河地震で大きな被害を受けた安城市桜井町の公民館で開催された。谷口先生は、都市地域の地震災害軽減やリスクマネージメントが専門なのだが、この日は災害初心者のためにかなり内容を噛み砕いて話をしておられた。題は「東海地震ってどんな地震?」副題は「東海地域の震度や被害について」である。
 それでも内容は示唆に富んでおり「目から鱗話」も随所にあった。とくに「スーパー広域災害」という言葉が目新しかった。
 1854年に安政東海地震安政南海地震が起きている。被害は東海道を中心に畿内・東山・北陸・山陰・山陽の各道に及び死者数は8000人とも言われている。それから90年後の昭和19年に東南海地震が、昭和21年には南海地震が発生し3600人の死者を出した。この東海・東南海・南海の地震三兄弟は常に足並みをそろえて発生してきたのだが、60年前のときに東海地震だけが休憩してしまい沈黙を守ってしまった。つまり地震のエネルギーを放出せずに貯えたまま現在にいたっているということで、だから東海地震の危険性が声高に叫ばれているのだ。
 先生曰く、「東海・東南海が同時発生する可能性は高く、同時発生をすればその被害地域は、東は山梨県から西は滋賀県にまで及ぶだろう」
 これを「スーパー広域災害」と言う。この災害は根本的に「阪神・淡路」や「新潟中越」とは違っている。この二つの地震、被害は大きかったが、結局のところ局地的な地震でしかなく周辺県では被害はほとんど出なかった。したがって救援の手も翌日には差し伸べられたわけなのだが、「スーパー広域災害」の場合はどうだろうか?例えば関東方面からの救援部隊はもっとも甚大な被害を受けている静岡県で留まらざるを得ないだろうし、関西からの救援部隊は津波の被害を受けている三重県に流れてしまうと考えられる。そうなれば愛知県に救援部隊が届くのは地震発生後、かなり経ってからだ、と考えるのが妥当だろう。だから「備蓄を各家庭でしてください」、「3日間は自助、共助で生き延びてください」ということなのだそうだ。なるほど。
(「地震は来る その2」に続く)