大学進学の是非

 大学進学率の地域差が20年で2倍になって地域間格差が拡がったと、相変わらずの「朝日新聞」が報じている。
http://www.asahi.com/articles/ASGBG5HCKGBGUTIL03K.html
 このことに関してコラムニストの勝谷誠彦さんは「朝日の報じ方が間違っている」と疑義を呈している。朝日新聞が報じると「日本国では貧乏人は教育を受けられない」にしてしまう。しかし実際には「日本の奨学金の普及率の高さ」こそ報じなければならないのだ。朝日新聞は、今までの捏造の数々を反省しているのだろうか。どうしても日本を貶めるほうにバイアスがかかってしまう。もうこの新聞社の宿痾だな。
 それは措いておく。そもそもの大学進学について考えたい。
 ある県内の大学の先生がこんな話をした。
「うちの学生で、名古屋の[屋]の字が書けないのがいる。[尸]しか書けない」
これは冗談ではない。「名古尸市」と書くのである。
 愛知県が58.1%の大学進学率だから、公立の中学校のクラスで40人中23人が大学に進むということになる。ワシャのささやかな体験でしかないが、ワシャが中学生だったとき、クラスで優秀だと思える生徒がせいぜい10人いるかいないかだった。この10人を中心に授業はまわっていく。30人はほぼお客さんだった。その10人ですら、愛知の田舎の中学校だったので、名古屋大学に進んだ人間はいない。クラスでトップの男でも地方の国立大学だった。もう一人地元の教育大学に行ったのがいたっけ。後の8人は地元の私立大学で修まった。もちろん10位以下でも大学に進んだ人間はいたが、高校を出て地元企業などに就職する人間も多かった。
 今、当時のクラスメイトを眺めてみると、高卒で働き始めた連中のほうが、地元で活き活きしているような気がする。中学時代に箸にも棒にもかからなかった男が、地域活動で頑張っていたりする。

 
 10月9日の日記
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20141009/
で、福田恒存『保守とは何か』(文春ライブラリー)の話を取り上げた。その本の中に「職人」の話が出てくる。そこで福田さんは「ダムの設計者や癌の研究者を職人より有意義な職業と思っているのか」と言っている。
 もちろん「ダムの設計者や癌の研究者」というのは大学卒以上の学歴を持っている人間のことであり、「職人」はおそらく中卒、高卒で現場に入って修行をしてきた人たちのことである。
 福田さんがこの中で種本を紹介している。児童文学作家の斎藤隆介が書いた『職人衆むかし話』(岩崎書店)である。これは『斎藤隆介全集』全12巻の中の1冊なのだが、これ以外にも『続職人衆むかし話』、『町の職人』などがあって、往時の職人の凄さ、素晴らしさを書き残している。

 朝日新聞は、岩手県の進学率が低いと報じている。はたしてそれが悪いことなのだろうか。岩手県は、東日本大震災で未曾有の被害を受けた。今、被災地で大学か就職かという岐路に立たされている、あるいは立っていた若者たちは、地震津波の直撃を知っている子供でもあった。あの大災害を目の当たりにした子供たちが、うす甘い二流三流大学の生活にあこがれるだろうか。
 彼らはもっと現実的だと思う。災害現場で活躍した自衛隊、消防、警察、看護婦などをしっかりと見ている。復興に尽力した建設業者や土木作業員と声も交わしてもいるだろう。そういう現場を見て、多感な若者たちが、大学に進んで4年間を遊んで暮らすほうを選ぶだろうか。そんな馬鹿なことをしている暇があったら、地に足の着いた生き方を選んでいるのではないだろうか。
 有名大学で遊んできた朝日新聞のエリートの皆さんは、データを読み違えている。東京の72.5%などという進学率こそ、背骨の通っていないひ弱な若者を生み出している最たるものだということなのである。