一灯を点す人

 20年ほど前のことである。
 ワシャの近所に元左官職の老人が住んでいた。はっきりとした年齢はわからないが、当時、すでに70は超えていたと思う。とても世話ずきなお爺さんで、ゴミの集積場の清掃をいつもこまめにやってくれていた。町内会の行事にも積極的に参加し、率先して働いていた。連日、自宅前の道路に立って、通学する子どもたちに「おはようございます」と声を掛け続けてくれた。ハーモニカが唯一の趣味で、毎夕、家の裏手の古びた椅子に腰を掛けて1曲だけ吹鳴する。童謡もあれば軍歌もある。ときには歌謡曲も吹く。それがまた切ないくらいに上手かった。
 ワシャが書斎(物置ともいう)で仕事に没頭していると、「戦友」なんかが喨々と流れてくる。
「ああ、もう夕暮なんだ」
 と知らされたものだ。
 その人の奥さんが突然亡くなってしまった。そうすると自宅を、同居していた息子夫婦に明渡し、自分はさっさと遠くの老人ホームに世話係として入所してしまった。ワシャも抜けていたのだが、夕刻のハーモニカが聞こえてこないのを半月程、気がつかなかった。
 ある週末の夕暮に、近所の人と庭先で立ち話をしていると、近くの家から「パフー」と間の抜けたハーモニカが聞こえた。幼児がいたずらに吹いたのだろう。その時、初めて「お爺さんのハーモニカがこのところ聞こえてこない」ことに気がついたのである。
 その人は戦前の尋常小学校しか出ていないときいた。それでも地域の小さなコミュニティに灯を点(とも)しつづけたことは間違いない。

 電光掲示板に人の一票を灯しつづけたバカバヤシとかいうジジイがいる。このジジイ、国民学校尋常小学校)どころではない。東京に4校しかない旧制7年制私立高校の成蹊を出て、東京大学法学部にご入学、その後、キャリア官僚となって、めでたく政治家に転身し、最終的に農林水産大臣まで昇りつめられたえら〜い人である。
 昭和の時代なら、郷土の偉人として銅像が建てられ永く顕彰されたのだろうが、平成も20年も経つと、こういったまがい者は銅像にならないほうがいい。顕彰ではなく晒し者になってしまうからね。

 地域に一灯を点す人、位人臣を極めながらも人としてまともな晩節を迎えられない人、前者が国のため社会のために役立つ人だということはバカでもわかる。

 それにしても農林水産大臣という職は何かに呪われているのだろうか……。