難しい問題(臓器移植法改正)

 臓器移植法改正案のA案が衆議院本会議で可決された。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090618-00000132-mai-soci
 人の「生」「死」に関わることだけに軽々に判断はできないと思う。ただ、社民党全員がA案に反対していること、そして、いわゆるプロ市民の団体がやはりA案に反対していることなどを鑑みると、A案はまずまず妥当な判断なのではないか。

「死生観」というものがある。これは民族によってずいぶん異なっている。例えば英語で死体のことを「イット(それ)」という。死ぬということは、霊魂が肉体から離れて天国(あるいは地獄)に逝くという宗教を欧米人は持っているから、霊魂が離れた遺体は物体でしかないということらしい。欧米において臓器移植が進んだ背景にはこういった事情もある。
 その点、日本人の死生観は少々面倒くさい。日本人は死んでも「イット」にならない。死ぬと「仏様」になってしまう。尊い「仏様」にメスをつけるなど言語道断という感覚が出るのも解らないでもない。
 司馬遼太郎が『春灯雑記』(朝日新聞社)の中の「心と形」という章で臓器移植について触れている。司馬さんは、仏教の「無我」を引いてこう言う。
《この仏教における「無我」の論は、臓器移植的な分野の中で申しますと、
「自分の体のどの部分も、わが所有物ではない」
ということになります。たれの所有物か。宇宙の原理が、仮の姿として自分の体や胃や骨髄や肝臓や皮膚や角膜といった形をとってあらわれているものだけのものだということになります。》
 司馬さんは、約40ページを割いて臓器移植について検証している。だが、知の大人である司馬さんをもってしても生命の倫理についての結論は出ないのだ。そんな問題を阿呆首相や笹川(右)尭あたりが百万回議論したところで結論など出るわけがない。そんなことは宗教家、哲学者、思想家の仕事だろう。
 そういった意味からもさっさと衆議院を通過したのは正しかったと思う。